書評『ツンドラ・サバイバル』念のため持ってきた道具を後悔する心理

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わたしに端的に言って、服部文祥さんのファンだ。

彼のサバイバル登山をそのまま自分もやりたいというわけではない。むしろ狩猟に関しては、地元の猟場をじっくり歩き、獲物を獲り、家に持ち帰るという、いわゆる普通の猟が好きだ。

じゃぁ、何に惹かれるか?

たぶん、彼が「めちゃくちゃ考えてる」という部分だと思う。

自然について、山について、そこに生きる動物について……。生き物の生き死にについて、自分の生き死にについて……。文章を書くことについて……。

考えて考えて考えて、後悔したり、失敗したり、うまくいったりする、その姿に感銘を覚える。自分も同じレベルでやれているか自信こそないものの、いつも一生懸命考えているつもりだから。

今日ご紹介する『ツンドラ・サバイバル』もやっぱり “考える” ということをいっぱいやっている。

『ツンドラ・サバイバル』

過去に服部文祥さんの著書はいくつか紹介してきた。

書評『獲物山』服部文祥氏、戦いの記録
書評『息子と狩猟に』“キレイゴト” との戦い
書評『狩猟サバイバル』私小説的文学作品だと思って読むと深くておもしろい!
書評『サバイバル登山入門』考え方はもちろん、山歩きの入門書としても勉強になる

どれもおもしろかったし、実は私の中での感想はどれも比較的似通っている。

『狩猟サバイバル』のときにも書いた “私小説的” というのがやっぱり今回の感想だ。

 

私小説ってのは……と文学論に入り込むと迷子になりそうなのでザックリ書くが、要は作家自身の日常生活を掘り下げて、必要なら多少の脚色を加えて小説として仕上げたものだ。完全なドキュメンタリーである必要はないものの、基本となる大部分の要素はノンフィクションであることが多い。

わたしが好きな小説家である志賀直哉はまさに私小説の代表的作家で、日記とも小説とも付かないような作品が大量にある。

自分が浮気をする。その浮気の様子を小説に書く。妻がそれを読む(あるいは読んだ周囲の人から中身を聞かされる)。妻に浮気相手と別れてこいと言われ、一緒に浮気相手の家に行き、別れる。しかしまた浮気をしてしまう。ということが、すべて小説になっている。

人間としてはくずだ。だけど、その掘り下げ方や表現方法がおもしろいから読む。志賀直哉が優れた人物だから読むのではなく、志賀直哉が人間的で、挑戦もしていて、成功したり失敗したりする様子を読むのがおもしろい。

 

——と、志賀直哉のことを長々と書いたのは、これがそのまま服部文祥さんの作品にも言えることだから(もちろん浮気云々は関係ないけれど)。

時々、彼の著書のレビューで「サバイバル登山とか言ってるけど、結局辛くなったら山小屋に避難するのかよ」みたいな、「お前、ちゃんとサバイバル登山をやれてないじゃん」という批判を書いて低評価をくだす人がいる。でも、それは読み方を間違えている気がする。いや、読み方に間違えも糞もないんだけど、少なくともわたしからすると「そうじゃない!そうじゃないんだ!」と声を大にして言いたくなる。

服部文祥さんは “サバイバル登山” という完成されたジャンルを広げようとしているのではなく、彼自身が目標としてかかげたテーマなんだと思う。だから、やってみてうまくいかなかったり、挫けてしまったり、逃げてしまったり……、紆余曲折を繰り返しているんじゃないかな。

この『ツンドラ・サバイバル』でも、何もかもうまくいくわけじゃない。大きな事故もある。だからこそおもしろい(いや、事故は怖いんだけど)。

 

ガスストーブを持ってこなければ!

服部文祥さんらしい後悔の場面が1つある。そしてその場面が私として、この本の中で1番刺激を受けた場面だ。

それはツンドラでサバイバル旅をしている後半のことだ。あるエリアに入ると薪になる木がなくなってしまった。事前に現地のコーディネートをしていたアレキサンダーという男から「旅の全ての工程を薪だけに頼るのは自殺行為だ」と言われていて、念のため予備としてガソリンストーブを持参していたので、仕方なくそれを使うことにする。

普通の人がこの場面で抱く感想は「ふぅ、やっぱりガソリンストーブを持ってきて良かった。備えあれば憂いなし!」ってなところじゃないだろうか。それどころか「こういう事態に備えて、適切な装備を持ってきた自分エライ!」くらいに思う人が多いと思う。もちろん一般的にはそれが正しいと思う。

ところが服部文祥さんは違った。

ミーシャ(引用注:現地で知り合ったベテランの猟師で、服部文祥さんが意気投合していた)は、仕方がないな、という顔をしただけだった。もしガソリンストーブを持ってきていなかったら、ここでどう対応していたのだろう。ストーブを置いてくる勇気がなかったことが残念だった。

『ツンドラ・サバイバル』p.229

もちろんガソリンストーブがあるから、それを使う。目の前にある便利な道具を使わないという選択肢はない。でも、服部文祥さんはそこで残念がる。もしストーブがなければ、必ずや何か方法を考えて、あるいは飢えに耐えてでも、その場を乗り切ることになる。誰も助けてくれる人はいない極限の土地だから、乗り越えられなければ死ぬまでだ。

その過酷な状況を自分とミーシャがどう乗り越えるか見たかったのだろうと思う。

 

この「道具が足りないときになんとかする」という行為は、山の技術を磨く大きなチャンスになると思う。

たとえば、山で野宿していてシースナイフを忘れたことに気が付く。ポケットに小さいフォールディングナイフが1つ。服部文祥さんの置かれた試練とはかけ離れた次元の課題だけど、こういう場面に置かれれば小さいナイフですべてやるしかない。焚火を熾すにしても工夫がいる。今どきのブッシュクラフトでやるようなバトニングとかはやれない。やるとしても慎重になる。

たとえばテントがないときに野宿することになれば、その場で持っているもので快適に、あるいは安全に寝ようとする。それはアウトドアに熟練しているかどうかとは関係のない話だ。まったくアウトドアの経験がなくても、テントなしで寝ろといわれれば、本人が思いつく範囲で1番いい方法を考える。

そういう「道具がないけどどうすりゃいい?」という点は、服部文祥さんがやろうとしているサバイバル登山の重要な要素であり、読み手としてもおもしろい部分だと思う。

 

「考える」ということ

狩猟や釣りをやっていると、少なくとも私はずーっとなにかについて考えてる。無心になる瞬間もたくさんあるんだけど、ふと気が付くと、また何かについて考えてる。

獲物を獲っては「もし、自分が獲らなきゃまだしばらく生きてたんだろうな」と考え、獲物が獲れなきゃ「どうやりゃ獲れるんだ?」と考える。

「命を大切にするとは?」

「肉を食べる意味とは?」

「自分が生きている意味とは?」

となんだかんだと考えるテーマは尽きない。たぶん、多くの人がその人なりのテーマで考えているんだと思うけど、誰もがそれを発信しているわけではないから、みんなが何を考えているかわからない。その点、服部文祥さんは考えていることを書いてくれているから、「なるほど、服部文祥さんもこういうことを考えるのか。そういや自分もそれを考えることがあるゾ」と勝手に共感したり、空想の服部文祥さんと議論してみたりする(空想の中で自分がいつまでも頷いていたりする……笑)。

そういう行為がおもしろい。そういう本だと思う。

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