書評『狩猟サバイバル』私小説的文学作品だと思って読むと深くておもしろい!

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本日ご紹介する本は服部文祥氏の『狩猟サバイバル』です。

この本はですね〜、なんというか私小説系の純文学ですよ。

『狩猟サバイバル』

Amazonのレビューでも、服部文祥氏の矛盾を指摘する人がいます。引用はしませんが、意味合いとしては——

「サバイバルという言葉を全面に押し出しておきながら、結局、辛くなったら山中の廃屋に泊まるのか? それでサバイバルってどうなの?」

といったところ。たしかにそうです。彼はみずからかかげたサバイバル登山という行為に反することをやってしまうことが多い。その部分をツッコむことは簡単です。そして「こんな中途半端な本は星1つだ」とバッサリ切るのだって簡単。

でもわたしは違う読み方をしています。

むしろ好評価です。わたしがどう理解したか、の前にまずは本の概要を——

本書の概要

この本は服部文祥氏の4シーズン分のサバイバル登山の記録です。

あえて書名が『狩猟サバイバル』となっているくらいで、彼のサバイバル登山のうち、狩猟に関わる部分にだけスポットライトを当てています(夏場のサバイバル登山は釣りがメインですが、本書では冬の狩猟部分のみ触れられているという意味)。

銃を背負い、山に入り、シカを獲る。

雪山の移ろう天気に翻弄されつつ、目標の山を目指す。彼は本来ベテランの登山家です。普通のスタイルの登山であれば容易に登れる山も、自分でかけた多くの制限(ライトは使わない、食料は最低限しか持っていかない、など)のせいで、登り切れない。

雪の日にテントもなく、山中で見つけた廃屋に泊まろうとする。それを地元の人に見咎められ、宿泊の許可ももらえず追い出されることもあります。

はっきり言って、どこか哀れさを感じさせる内容です。

発展途上

『サバイバル登山』とかかげたわりに未熟だなと思う人は、まず彼自身が発展途上であり、サバイバル登山に挑戦するチャレンジャーだと理解したほうがいいと思います。

彼は「自分自身がサバイバル登山の完成形である」とは書いていません。彼はただ、これまでの登山のスタイルに疑問を持ち、新しいスタイルを模索しているに過ぎないのです。

別の本ですが『サバイバル登山』では、サバイバル登山における荷物の紹介などをしていますが、そこでも「今は持って行ってるけど、将来は持って行かずにチャレンジしたい」と書かれたものが沢山あります。

新しいスタイルに対してチャレンジするひとりの登山家なのです。

私小説的

本書を読んでいて、真っ先に思ったのは「これ私小説的だよなァ」ということ。

大正の作家で志賀直哉という人がいます。彼は私小説を追求し、小説の神様とまで呼ばれた人です(『小僧の神様』という作品を書き、これを1文字もじって『小説の神様』と呼ばれたという経緯があります。さらに言えば『小僧寿し』は『小僧の神様』からとった社名です)。

志賀直哉の作品はとにかく自分のことを赤裸々に書いたものばかり。彼は決してカッコいいことばかりしているわけではありません。浮気をして、奥さんに謝りに行けと怒られ、奥さんと一緒に浮気相手に別れを告げに行くなんてこともありました。そしてそういうカッコ悪い一部始終を全部小説にしました。

奥さんが「あなたの作品を読むと頭がおかしくなるから読みたくないけど、近所の人が親切に教えてくれるの。お願いだから変なことは書かないで」という意味のことを言われ、またそれをそのまま小説にしてしまう始末。

自分のカッコ悪い部分を掘り下げ、暴き、小説として描く。

そのスタイルは服部文祥氏のやっていることと重なります。

たしかに服部文祥氏はカッコ悪いときもある。矛盾しているときもある。逃げることもある。

でも、人間ってみんなそうですよね?

文学的

上に挙げたような理由で、わたしはこの本をとっても文学的な読み物として読みました。

狩猟のハウツーとか、サバイバル登山のハウツーとか、そういうものではないし、何かのお手本でもない。

彼が自分で作った目標に対してもがく様子を描いた小説だと思った方が楽しめるのではないでしょうか?

少なくともわたしはすごく楽しんで読みましたし、考えさせられることが山ほどありましたよ。

興味がある人はぜひ読んでみてください。

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