“獲物を追って2週間式”の狩猟に思いを馳せる

最終更新日

最近、“獲物を追って2週間式”の狩猟に挑戦しようという気持ちが強くなっています。

それができる器量がある、という意味ではなく、できるようになりたい、という意味です。ちょっとその魅力を語ってみます。

本を読むと——

ちょっと古い狩猟本、あるいは昔を振り返った狩猟本などを読むと、「獲物を追って2週間」みたいなお話はザラに出てきます。たとえば西村武重氏の本でも、そういう話は多いです。

あるいは、昔を振り返った本としては、久保俊治氏の羆撃ちもありますね。

 

他にも熊撃ち系の本を読めば、必ずと言っていいほど “獲物を追って2週間” という話が出てくるものです。言うまでもないですが、“2週間” というのは一例ですよ。1週間だったり、10日だったり、1ヶ月だったり……。そういうのを総称して、ぼくは “獲物を追って2週間式の狩猟” と勝手に呼んでいます。

ぼくはこの手の猟法に対して、猛烈に憧憬を抱き、嫉妬を感じるんです。とくに最近になってその思いが強くなってきていますが、じつはその気持ちは狩猟を始める前から持っていたようにさえ思うんです。自著の『山のクジラを獲りたくて―単独忍び猟記』にも書きましたが、ぼくは最初から「鉄砲を担いで山を歩き回って獲物を探して獲る」というスタイルに憧れていました。今振り返って見ると、「山を歩き回って——」という部分は日帰りだけを指しているつもりはなく、獲物の痕跡を追い求め、西へ東へと徘徊し、ときに野営し、獲物の動向に一喜一憂する、そんな風景が頭に浮かんでいたと思うのです。

 

キャンプ+狩猟とは違う

鉄砲を担いでキャンプをしに行くという話とは違うんです。それはそれで楽しいでしょうし、別の話題だと思っています。

あえて「狩猟キャンプ」みたいな言い方をせず “獲物を追って2週間式” と説明的な言い方をしているのは、キャンプしながら楽しく狩猟をしよう、みたいな感覚とは違うから、なんです。何が違うかと言えば——

  1. 目的は “ある獲物” を獲ることであり、キャンプではない。
  2. それが合理的だから長期化しているのであり、1度帰宅した方が合理的ならそうするのが自然

最初から「よし、今日はどこどこでキャンプしつつ、シカでも探すか」というのは、楽しいでしょうけど、意味が違うんです。だって、これだけシカが増えた今、日帰りの方が合理的で自然だから。

 

時間的自由と、空間的自由と、変化する目的地

たとえば一般的な登山は登山ルートが決まっていて、目的地が決まっていて、おおよその行動時間の目安も決まっています。

これがバリエーションルートだったり、未踏ルートだったりすると、ルートと行動時間は読みにくくなりますが、目的地は決まっています。

その点、いわゆる「忍び猟」系の狩猟だと歩くルートは完全に自由——言い換えれば、事前には決められないという特性があります。そして目的地である「獲物がいる場所」も毎回異なるわけです。空間的自由さと、変化する目的地という特徴があります。

ところが、じつは暗黙のうちに「日帰り」という制約を抱えているような気がしています。ぼくも足跡を追っていて「ああ、これ以上奥まで追うと帰れなくなるな。やめとこ」なんて具合に判断するわけです。

その点、昔の猟師の話を読んでいると「よし、明日はここから追うぞ」とその場で野営して、次の日も追いかける。時間的自由を獲得しているんです。

もちろん「いや、一度帰って明日出直そう」となることもあるわけですが、野営して続行という選択肢を持った上での “日帰り” と、最初から日帰り前提の “日帰り” とでは意味が違うんです。この時間的自由の有る無しでは、景色の見え方が違うはずなんです。

 

旅を通して思ったこと

ぼくは昔から旅が好きでした。とくに最初の頃はバイクツーリングにハマっていて、日帰りツーリングに傾倒し、満足できなくなり1泊になり、2泊になり、10泊になり……とどんどん伸びていきました。しまいには会社を辞めて2年4ヶ月も旅をすることになったわけですが、そのとき「期間」の違いは確実に感覚に影響することを実感していました。

実際10泊くらいの旅をすると、最初の2〜3泊はまだちょっと興奮していて浮き足だっているんですが、5〜6泊くらいになると、旅が当たり前になってきて、1日の時間の使い方も変わってきます。最初は必死に観光していたのが、「まぁ、のんびりしよう」って気持ちが強まったりします。そして8〜9泊あたりになると、終わりムードになってちょっと憂鬱な気持ちも出てきます(サザエ症候群みたいな感じでしょう)。

仮に同じ観光地に日帰りで行ったときと、3ヶ月の旅の末に行ったときとでは見える景色はまったく異なるはずです。正確に言えば、その景色から受け止めるものがまったく違うんです。

それが山での体験にも言えるんじゃないかな、というのが、この記事で書いている “獲物を追って2週間式の狩猟” に対して憧れる理由だったりします。

 

日帰り前提で見える山の景色と、「必要とあれば何日でも山にこもるぜ」という気持ちで見る山の景色は違うはず。それを知りたい、見たい、と思うんです。

 

これは最近抱いたものではなく

この考えは最近になって浮かんだものではありません。

少なくとも自分の過去記事で分かる範囲だと2020年12月にはこの考えを記事にしています。

単独猟日記:忍び猟の休憩でタープを張るという実験をしつつ、メスジカを獲る

じつは他の道具選びにも言えることなんだけど、ある心に抱いている将来への展望があってやったことだ。
じつは「野営しながらの狩猟」というスタイルを目指している。ただこれは「野営&キャンプを楽しみます」という話ではない。それは最初からキャンプを目的に行っているだけ。それはそれで楽しいけど、やりたいことはそれではなくて、「足跡を追っていたら日が暮れそうなので、ここでビバークして、明日も追うぞ」という事態を想定している。

記事にしたのがこの頃なので、このずっと前から間違いなく、こういうことを考え続けている。

この記事を読み返したのは、この記事をここまで書いてからなのだけど、多少言葉が違うものの、この記事とまったく同じことを書いていてびっくりした。『「野営&キャンプを楽しみます」という話ではない』なんて強調しているあたり、考えは変わってないんですね。

じつは何年も前から「野営しながら獲物を追う」というスタイルと、そこに犬を連れて行く、という考えはあって、最近になってようやくそれが実現しようとしているというわけです。

まさに「実を結ぶ」という感じ。

おもしろくなってきた〜。ここで、もう1つ過去記事を引用して終わりにしましょう。

毎年、猟期前になると「今年が1番楽しみ」って思う理由を1つ

 

今年もやっぱり、「今年が1番楽しみ」って思ってます。いや、ほんと。


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狩猟やってます。ひとりで歩き獲物を追う単独忍び猟が好き。2022年からはアイヌ犬のイチを連れて一銃一狗に挑戦します。狩猟系ブログ《山のクジラを獲りたくて》運営。狩猟系の本を集めるのが趣味。雑誌『狩猟生活』『ガンズ&シューティング』に寄稿し始めました。 ヤマノクジラショップ始めました:https://yamanokujira.theshop.jp

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