GARMIN fenix 6を使って感じたGPSウェッチと忍び猟の話
今期、こっそりと導入した道具の1つがGARMINのfenix 6でした。
約1シーズン使ってみて、ぼくの忍び猟におけるGPSウェッチについて書いてみたいと思います
※いわゆるスペック紹介や商品レビューではなく、忍び猟におけるGPSウェッチの活用法が趣旨です。
GPSウェッチって必要? ダグラス・アダムスの法則
長いけど、きっと誰かに響くだろうと信じて、自分とGPSウェッチの出会いを書かせてください。「GPSウェッチ?いらないよ」という人は必読、だと思う。
ぼくは元々システムエンジニアで、ガジェット好きでもありました。例えばiPhoneが出てきた当時、早い段階で手を伸ばしたクチです。新しもの好きで、ガジェットなどは欲しくなるタイプではあるんです。
いわゆるGPSウェッチも前から興味はありました。でもなぜか食指が動かない。ポチるところまでいかない。興味はある。でも買うほどでもない……。
「今の時代、スマホもあるし、GPS端末もあるし、なにも時計までスマートウェッチやらGPSウェッチやらにする必要ないだろ」
そんな気持ちがありました。興味はあるけど、「時計までガジェット化するのは行きすぎかな〜」っていう感覚です。
それが変わったきっかけはKentarou In The Woodsさんの動画でした。動画の中身そのものというよりも、彼もGPSウェッチに対して「いらないだろ、と思ってたけど、使ってみたら思いのほか良かった」ということをスタンスだったんですね。そして思い出しました。
ダグラス・アダムスの法則です。内容は——
人は、生まれたときにすでに存在したテクノロジーを「当たり前の、自然なテクノロジー」だと捉え、15〜35歳の時期に触れたテクノロジーを「イけてる最新のテクノロジー」だと捉え、35歳以降に現れた新しいテクノロジーを「行きすぎた過度なテクノロジー」だと捉える。
ダグラス・アダムス(筆者意訳)
これ、本当にその通りだと思ってるんです(あくまで傾向としてね)。ぼくは25歳かそこらでスマホに触れたんだけど、やっぱりイけてる技術だと思ったし、インターネットは15歳そこらの頃にはあったから特別なものだとは思ってないんです。あって当たり前って感じ。
で、GPSウェッチですよ。
開発された時期はともかく、ぼくが興味を持って触れたのはまさに35歳を過ぎてから。で前述の通り「時計までガジェット化する必要はないよ」というリアクション自体が、まさに「ダグラス・アダムスの法則」ですよ。
「これはやばい。自分がおっさん化してるかも!」
と思ったわけです。ブログや雑誌で発信する活動もしているのに、感覚が衰えていくのはマズイ。せめて使ってから文句を言うぞ、という、ちょっとした使命感を持ってfenix 6を買ったというわけです。
やっと本題です。忍び猟とGPSウェッチについて——
忍び猟と登山の違い
まず重要なことは忍び猟も登山も山を歩くわけだけど、GPSウェッチの観点で言えば、まったく異なる活動です。
なにしろ忍び猟にはナビゲーションがないのです。登山は目的地があり、ルートを計画します。一方で忍び猟は何となくのルートはあれど、現地で臨機応変に変わっていきます。
「足跡があるから追ってみよう」なんて具合にどんどん行動するわけです。だから多くのGPSウェッチで売りとされているナビゲーション系の機能はほぼ不要です。
さらに言えば、登山と違って、狩猟では同じ山域に繰り返し通います。だからその山域の地形は頭に入ってるんです。庭みたいなもの。ナビゲーションは不用です。
忍び猟におけるGPS+地形図の価値は「チラ見」
ではGPSや地形図は不要かと言えば、そんなことはありません。
猟場って「完全に把握しているエリア」「なんとなく把握しているエリア」「未知のエリア」って感じで分かれていると思います。
把握しているところではGPS/地形図なんて不用です。でも、その外に出るときはそうもいきません。ぼくもシカの足跡を追いかけていて、未知のエリアに出ていくことはよくあります。そうすると「この尾根の向こうってどうなってんだ?」「この川を下ってもいいのかな?」「この先、尾根からおりられるの?」という疑問が常につきまといます。
ここでGPS/地形図の出番です。
チラッと現在地周辺の地形図を見て、次の行動を決めるわけです。登山と違って目的地がないので「最短ルートで歩く」みたいなことはあまり意味がありません。ただ「進んでいったら崖だった」とか「尾根を越えるならコルを通った方が効率もいいし、動物もそこを通るはずだ」みたいなところで地形図が生きてきます。
ジーーっと地形図を睨んでいることは多くありませんが、チラッと見て「よし、向こうに行こう」と判断するようなことはたくさんあります。
GPS/地形図はとにかくチラ見です。
冬の山だとグローブをしているので、スマホは扱いづらい。その点、腕を回せば即座に開くGPS時計は最高です。fenix 6は腕の動きに合わせて画面が開くので、本当に操作ゼロで現在地と周辺の地形を見ることができます。
歩きながら腕を回し、2〜3秒見るだけ。本当にチラ見です。
マーカーの3つの用途
fenix 6に限らず、GPS端末は位置情報をマーキングする機能があります。これはかなり使います。用途は3つ。
(1)獲物の痕跡の記録
シカは痕跡だらけなので、やりませんが、ヒグマの痕跡などは逐一記録します。たとえば新しい糞を見つけたら、日付付きで位置を記録します。で、数日後に近くを通った際、またその糞をチェックするんです。そうすると、時間経過に伴う糞の色の変化などを見ることができます。
ほかにもヒグマの食痕があったら、位置を記録。写真もとる。で、数日後にくれば、食痕が進んでいるかがわかります。また戻ってきて食べているのかもしれないですからね。ワクワク。
(2)地形の記録
地形図からは読み取れない地形の情報って多いです。地形図に現れない崖だとか、通れそうな地形なのに、藪が多くて通れない場所だとか。
必要に応じて、そういう場所を記録しておくといいですね。そのときは覚えていても、翌年に役に立ったりします(経験あり)
(3)発砲後の記録、追跡の記録
そして発砲してからはマーキングの鬼です。
まず撃ったらマーク。そして、獲物が立っていた場所に行ってマーク。これで、多少の誤差はあれど、発砲距離が分かります。
そして、獲物が走ってしまったとき、痕跡を追いかけるために、血痕を見つけたらマーク。徐々に血痕が減っていくときなど、これが活きてきます。
「最後に見つけた血痕はどこだ?」と戻りたくなることって絶対にあるんですよ。
気圧も大事なデータ
地味だけど、有益なのが気圧の情報です。
気圧が急に下がったら何かが起きているかもしれません。まぁ、その程度の知識と情報だとしても、ないよりは価値があります。
もうちょいがんばるなら、山に入る前に天気図を見ておきます。たとえば低気圧がちょっと北を西から東へ通過するとしましょう。つまり「低気圧は直撃しないし、目立った前線もないから、天気は持ちそうだ」という場面。
ところが山で急に気圧が下がっているとしたら、「もしかして、北を通過するはずだった低気圧が進路を変えて、直撃してる? あるいは低気圧が発達した?」なんて仮説を立てることができそうです。
ぼくが行く山は100%圏外なので、スマホで天気チェックができません。もちろん事前にチェックして、いくつもシナリオを考えていますが、現地での観天望気(自然現象や生物の行動の様子などから天気の変化を予測すること by wikipedia)の1つとして、気圧の変化は心強い情報になります。
InReachとの連携
100%圏外となる山域なので、家族への連絡用にInReachを使用しています。
参考:Garmin InReach Miniを手にして分かった使いどころ
で、これがfenix 6と連携できるんですね。これは便利ですよ。時計から定型文のメッセージを送れるんですから。InReachはザックにでも括り付けておいて、下山時に時計だけを操作して「遅くなるけど、無事下山中だよ」とか送れるわけです。
まぁ、これは便利機能っていうレベルですが、気に入っています。
ガジェット漬けにならないためのガジェット
他にも行動距離・行動時間・日の入り時間を一目で見られるように設定しているので、下山に向かうタイミングを判断する材料として重宝していたりします。
GPSウェッチを使う前は「これ以上ガジェット漬けになりたくないなァ」と思っていました。でも、実際に使ってみた感覚としては、むしろガジェットから距離を置けた気がします。
まず山でスマホを出すことはなくなりました。ザックに入れてそれっきり。
基本的な地形などは頭に入っているし、時々、そのエリアを出るときだけ、GPSウェッチをチラ見。InReachとか触ることもなく、必要なら時計から定型文をシュッと送るだけ。
狩猟からガジェット感が薄まった気がしています。
で、そもそも論なんですが——
「この手のガジェットって狩猟に必要なのか? 昔の人は使ってなかったんだし、いらないでしょ?」
という指摘もあると思うんです。そして、実はぼくもその意見を支持しています。いるかいらないか、で言えばいらないよ。でも、昔と今とでは状況が違います。
たとえば昔の人の狩猟本などを読むと「クマの足跡を追っていて、日が暮れたからその場で野営し、その後4日間も足跡を追った」みたいな話がよく出てきます。いまそれをやったら家族が心配して、捜索されちゃいますよ。というか、仕事もあるし、そんな気楽に「よし今日は泊まっちゃお」なんていかないんです。
だから、昔の人が持っていた「自由」みたいなものがない分、何かで補うことは悪いことではないと思っています。現代の生活の中で、効率よく狩猟をやろうと思ったら、こういう道具に頼るのもひとつなのかな、と思うわけです。
「いや、そんなものはいらない。自分の勘だけでやる」という人をぼくは尊敬しますし、じつはそうありたいとさえ思います。
とはいえ、使ってみたら便利だった。
そういうお話です。
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