ぼくが感じている狩猟の魅力を5つ語る
今日はぼくが感じている狩猟の喜びを5つに絞って書いてみたいと思います。
ここに挙げた以外にも喜びはたくさんありますし、そういう喜びに順位をつけるのも難しい話なので、語りたいことを語らせていただきました。
動画版
ほぼ同じ内容のおしゃべり動画をYouTubeにもアップしていますので、文章でも記事でも好きな方でお楽しみください。youtubeではブログに投稿しないタイプのコンテンツもアップしていますので、ぜひチャンネル登録やGoodボタンを押してやってください。
1.山で過ごす時間の濃密さ
これまでいろんなアウトドア系のアクティビティはやってきました。登山、キャンプ場でのキャンプ、林道ツーリング&野営、渓流釣りなど、どれも好きですし、代えがたい行為だとは思っています。
でも、自分の中では狩猟の “濃さ” はダントツだと思っています。
狩猟は目的地があるわけではなく、山で獲物を探すことが基本的な目的です。だから一歩一歩ずっと狩猟なんです。ちょっと歩いては獲物を探し、また歩いては足跡を観察し、立ち止まっては音を聞き、また一歩進んで獲物を探す。すべての瞬間が狩猟だと思っています。
そしてその濃さゆえに——だけじゃないけど——同じ山に何度通ってもおもしろい。登山をしていたときは毎週毎週別の山に通っていました。同じ山に繰り返し行くことは考えられませんでした。それはそれでおもしろいのだけど、狩猟を通じて山を見たとき、山は日々、一瞬一瞬、違う顔を見せます。同じ山に通っていて飽きたことがありません。
それどころか山に行った帰り道、「同じ山に明日また行きたい!!」と思います。
それほど濃い行為なんです。
2.狩猟のある生活
狩猟そのものもおもしろいのですが、狩猟をやっていることで手にした「狩猟のある生活」ってのも魅力の1つです。
幸いにして自分のみの周りで日常的に交流している人たちは、みんなぼくがやっている狩猟に対して好意的に見てくれています。
「やまくじくん、今度、ごはん食べようよ」
「ああ、シカ肉あるんで食べます?」
「いいね〜」
となる、このやりとり1つだってぼくにはおもしろいのです。シカ肉はぼくにとっては当たり前の食材です。そんな当たり前の食材が、仲間内での交流の潤滑剤にもなり、ときに人と結びつけてくれる接着剤のようにもなるのを実感しています。
3.季節感
狩猟を始めるまで、ぼくは季節感をというものを本格的に感じたことはありませんでした。
そりゃ、季節の行事的なことはやったりもしましたが、狩猟を始めるまで、心の奥底からふつふつと湧いてくる季節感を感じたことがありませんでした。
猟期である冬を待ち遠しく思うというのもありますが、それだけではなく、春の山菜、秋のキノコ、冬の狩猟——それも初冬のシカの繁殖期、雪が降り始めてクマが冬眠に向けて動く時期、スキーで歩く深雪の時期……すべてがおもしろい。
4.内向的な喜び
狩猟っていわゆるアウトドアなんですが、ぼくは「読書」と通じる体験であると思っています。
小説を読みながら自分の心を揺さぶり、刺激し、痛め、温める。そんな感覚を狩猟を通じて感じることがあります。読書って本と読者の一対一の行為です。他者は介在しません。他人がなんと言おうとも、読書という体験は自分だけのものです。
狩猟も同じで、自分と山、自分と自然、自分と獲物——言い方はともかく、その関係性は他者の介在しない一対一の閉じたものだと思っています。他人から見られる姿などを考えず、自己完結する経験。それは狩猟の魅力の1つだと思っています。
——ちなみに、この考えとブログを書く自分で自己矛盾もあるんです。自分の狩猟を人に見せると、どうしても心のどこかで「人に見せる狩猟」をしたくなる。その気はなくても、そういう面がチラついてくるものだと思っています。
だから、動画については否定的な気持ちがありました。やってみるとわかるんですが、カメラを回していると視聴者の視線を気にして、いつもの自分じゃいられなくなるから。
でも最近試してみたら(少しはカメラ慣れしてきたのか)カメラを回してもそれほどストレスを感じないどころか、下手すりゃカメラの存在を忘れてしまうくらいになってきたので、時々はカメラを回してみることにしました。このあたりは慣れでしょうね。
5.冒険感
ぼくは冒険が好きです。
本当の冒険家にはなれないけど、手の届く小さな冒険はしたいといつも思っています。
参考:手のひらサイズの冒険論:ぼくは冒険的行為が好きなんだと思う
狩猟はそういう感覚を持てる貴重な行為だと思っています。
みなさんの思う狩猟の魅力も教えてください。
ここに挙げたもの以外にも沢山の魅力があります。たとえば道具のおもしろさもありますよね。
鉄砲やナイフを本格的に使う数少ない行為です。そこにロマンを感じるのも実際あります。あえてそこに触れなかったのは、本当の本質ではないと思っているから。
たとえば法律が変わって、「狩猟ではこの鉄砲を使うこと」と決められて、それが自分の好きな銃ではないとしても、その鉄砲を持って狩猟を続けます。なぜならこの記事で挙げたような魅力があるからです。
ぜひみなさんの思う狩猟の魅力を教えてください。
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