「獲った/獲れた」とも違う感覚
狩猟で獲物を得たとき、「獲った」のか「獲れた」のか、微妙にニュアンスが変わってくる。
偶然獲れた。狙って獲った。自分なりに、どちらも経験したことがある。でも、先日獲った鹿では……うまく言えないけど「巡り合わせ」とでも言えそうな感覚を持った。
その感覚を自分なりにメモしておきたいと思う。
朝イチでオスジカが鳴いた
日の出を5分過ぎて山に入った。歩き始めて10分そこらでオスジカの鳴き声が山に響いた。ラッティングコールと呼ばれる、オスジカが発情期に響かせる声だ。
ぼくは獲物を選ぶ。個体数を減らすための駆除をやっているわけじゃないので、自分が食べたいという獲物に限って獲ることにしている。メスジカか、若いオスジカが基本的な狙い。数は少ないが発情期以外であれば、オスの成獣を獲ることもある。
つまり発情期のオスはあまり獲らない。
そういった話は過去に雑誌『狩猟生活』でも書いたことがある。
獲物を選べるのは他人のプレッシャーを感じなくて済む単独猟の特権だと思っている。直接的な収入源として捉えていないうえに、ある程度の回数を出猟できるという心の余裕も大きい。もし月に1回しか出猟できないなら、獲れる獲物を獲るようになるだろうと思う。
——オスジカかぁ。発情期が始まったんだな。
今年はどうも発情期の開始が遅い。感覚的には1週間くらい遅い印象だ。ここまでほとんどラッティングコールを聞くこともなかったが、朝イチの声は割と近くからハッキリ聞こえたことが印象的だった。
吹く場所、撃つ場所があった
ふと見ればそこはぼくが以前から「ここでコール猟ができたら、いろいろ都合がいいな〜」と思っていた場所だった。
コール猟は要するに待ち伏せ猟なので、視界が開けていて、バックストップなども含めた安全な射撃環境があり、回収が容易であることなど条件が揃っている場所でやるのが普通だろう。
そして鳴き声を聞いたその場所が、まさにその狙っていた場所だった。開けた谷の中に小尾根があり、その尾根の上からなら270度くらいを見渡せる。万が一、ヒグマが現れても上から見下ろす位置になるから、比較的安全であるというのも、心の平穏を保つ上では重要だった。
「まぁ、シカ笛でも吹いてみるか」
オスジカを積極的に獲ることはないのだけど、ぼくは導かれるように小尾根に上がった。オスジカと同じように2度だけ鳴き返した。
待ち始めて数分で笹藪をかき分ける音が聞こえてきた。
「え? もう来たの?」
オスジカ現る

あまりに拍子抜けしていた。
笛を吹いて、本当に数分だったから、まだ立ち位置とかも定まっていない状態だった。3つの谷が集合する場所なので、そのどれかだろうと思うのだが、谷は音が反響し、いまいち方角が掴めない。
右か……左か……。
なんて考えていたら、どんどんと進んできて、もうぼくが立つ小尾根の真下にやってきていた。距離は20〜30m程度。
オスジカは角を倒木に擦りつけ、ガリガリガサガサとうるさい。なにしろラッティングコールで寄ってくるオスジカは漏れなく怒ってる。縄張りにいる別のオスジカを追い出すために来ているだろうから、全力でファイティングポーズを決めている。このオスジカもやはりそういう状態だった。
撃つか、撃たないか

銃を用意してとにかく構えてみる。
微妙にバイタルが見えていない。頭は見えているんだけど、角をぶんぶん振り回しているので、近いとは言えヘッドショットは現実的じゃない。
「それよりも、これ撃つのか?」
先述の通り、発情期のオスジカは撃たないことにしている。「そういう主義」と大袈裟に謳うほどじゃないのだけど、無理してオスジカを獲らなくても、歩き回ればメスジカも十分に獲れるのだから、ここで撃つ必要はない。
スコープ越しにオスジカを見続ける。
ガリガリと角を擦りつけている。ふと風の中に異物の匂いを嗅いだのか、鼻を高く上げた。そのときトントンと2歩ほど進み、バイタルが見えた。頭を上げ身体は固まっている。すでに照準はバイタルにピタリと合っており、無意識にセーフティも外してある。
引き金を引けば当たるだろう。
「これは獲る流れなんだろうな」
そう思うなり、自然と引き金を引いていた。オスジカは跳ねて、少し藪をかき分けながら走って10mくらいのところに倒れた。
獲った、獲れた、獲らされた……
獲物が獲れたときに「獲った」のか「獲れた」のか、毎回毎回そんなことを悶々と考える必要はないと思う。
そんな明確に定義づけできるものではないし、自分の心の持ちようみたいなところもある。狩猟をやる上で、考えすぎる必要はないという意見にぼくは賛成だ。
だけど、ぼくは物書きとしての活動もしているからか、元々の性格なのか、考えるクセがある。
今回の獲物は獲ったのだろうか? 否。シカ笛を吹いたのはぼくだけど、たまたまいいところで鳴いたシカがいただけだ。
それじゃ獲れたのか? いいところを見つけて、目星を付けておいたからこそ、スムーズに場所を決めて、笛を吹いて、実際の捕獲に至ったと思っている。
……そんなことよりも、自分の気持ちの変化の方に驚いた。
去年は同じようなシチュエーションで引き金を引かなかったことがある。「オスはいいか〜」と見送った。ぼくはハンターである以前に、動物を見ることも好きだから、シカ笛で寄せたオスジカを見ているだけでも幸せだ。いきり立つオスジカの逆立つ毛を見るだけでも興奮する。だから引き金を引かないのもとても自然な判断である。
でも今日は引いた。
すべての流れが合っていた。まさに巡り合わせ。
獲るための流れだと思った。もちろんそれだって獲る側の都合なんだけどね。
「獲るための流れだと思った」と感じるような流れだった、という感じかな。わかりにくいか。いまはあまり整理しないでこの程度の雑さで締めくくろうと思う。
美味しいオスジカだった
前に発情期のオスジカを食べたときは臭さを感じた。
でも今回はそんなことがなかった。そもそも前に獲ったときの処理が悪かったのかもしれない。普通においしく食べられた。というかむしろおいしかった。
とても美味しいオスジカだった。
また、おもしろいと思ったらこちらをクリックしていただけると、ランキングが上がります。応援のつもりでお願いします。
ブログ村へ
