経営コンサルと話して気づいた狩猟の魅力
先日、友人と雑談をした。彼はビジネス系コンサルで、地方で商売をしている僕の話を聞いて、彼のコンサル業の参考にしたかったらしい。
そんな彼との話で、ふと自分が感じている狩猟の魅力みたいなものに気づかされたので、それをまとめてみる。
抽象化、概念化、傾向、流れ……
友人は経営コンサルであり、ものごとを抽象的に捉えて、他の分野・業種に応用できないか考えるクセがある。
たぶんコンサルタントとしては優秀なのだろう。
一方でちっぽけながらも自分で商売をしているぼくは、物事を具体的に考える。貯金がいくらあって、借りられるお金はどれくらいで、自分が背負えるリスクはどれくらいで、周りにどういう仲間がいて……。
「コロナの今こそ投資のチャンス!」
と言われたとて「ごめん、そういう考えも分かるけど、そのリスク(借金)は背負えない」と思ってしまう。経営判断としての正解・不正解もあるだろうけど、自分の限界とか、性格ってのもある。
withコロナ時代・アフターコロナ時代がどうのこうの、社会の傾向としてはどうのこうの、そういうのは雑談としてはおもしろいし、重要な視点だとは思ってる。
だけど、社会の傾向なんかよりも、自分のことに興味がある。具体的に今日何をして、明日何をするか、そしてその結果がどうなるか……。
話はグイっと狩猟へと
そんな話をしていて、狩猟を好きな理由の1つに気が付いた気がする。
それはやっていることが極めて「具体的」だということ。
たとえば学問として、シカの生態、食性、行動学的な見地からシカの動きの傾向を読むことはできると思う。
「一般的にこういう天候だとシカはこういう場所に集まる」
みたいな方程式もあるかもしれない。
だけど、獲物を獲るのは「傾向を獲る」のではなくて、生きている1頭のシカを獲るのである。のろまなシカかもしれないし、ゲテモノ食いのシカかもしれない。腹を壊したシカかもしれないし、寒いのが嫌いなシカかもしれない。
日本中のシカが「西側斜面に集まってる」としても、ぼくの追う鹿が東の斜面にいるなら、ぼくは東に向かうわけだ。
日本で何頭のシカが獲れたとか、捕獲方法はどれが多いのかとか、そんなこと関係なくて、目の前の1頭のシカだけがぼくの興味であり、ぼくが選択した猟法だけが好奇心の対象なのだ。
先日、自分で確かめることの重要性を書いた。
この話とも繋がってくる。「学問的にはこうだろう」とか「傾向としてはこうなるはずだ」というのは知識としてはおもしろいけど、そんなことより「自分が行く山ではどうなのか?」を知るのがおもしろいのだ。
自分で試す。確認する。
その部分こそおもしろいというのは、ある意味、一般論よりも自分の目で確認したことを大事にする、という意味でもある。
会社員時代には抽象論を求められることも多かったが、その反動なのか、ぼくは具体的なものに惹かれるようになったのかもしれない。
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