獲ったものを食べる喜びは、味やコストの問題ではない
なんで狩猟をやっているか? ——おもしろいから。
短く答えるとこうなるんですが、少しだけ言葉を足すなら「獲って食べる生活がおもしろいから」となります。なんて話をすると——
「新鮮だとおいしいもんね」「食べ放題だもんね」
ってな反応があったりするんですが、それは副作用程度の話で、本質とはほど遠いと思っています。
獲ったものを食べる喜びってなんだろうか?
ぼくなりの考えです。
まず、狩猟で獲る肉は安いわけじゃない
長く続けていけば “結果として” 安上がりになってくる可能性はあります。じつは本気で計算したことがないうえに、正直あんまり興味がないんです。
肉を安く食べるために猟をやる、と思ったことが1度もないもので。
そもそも狩猟って金がかかるんです。始めるための費用は数十万円かかりますし、いざ始めても税金やらなんやらで毎年数万円は飛びます。そのうえ、弾代、射撃場での練習代、車の購入・維持費なんかを考えると計算するのも嫌になる額がかかります。
それなら毎日スーパーで肉を買って食べた方が安いし楽だと思います。
獲って食べる生活の喜び
自分で獲ったものを食べる喜びは、たぶん狩猟をやったことがなくても、なんらかの家庭菜園をしたことがある人なら分かってくれると思います。
タネを植え、手をかけてやり、芽が出て、実がなる……。そのトマトの実は値段とか、食べ方だとかそういう喜びとは違うと思います。毎年やっていれば「今年は出来がいいな」とか「今年はずいぶんたくさん採れたね」「あれ〜、虫に食われちゃっていまいちだァ」なんて具合に毎年同じようにはいかないだろうと思います。
それがおもしろいんですよ。
食卓で食べるときに「これうちで採れたトマトなんだよ」「へ〜うまいね〜」と語らう、そのひとときがおもしろいんです。
「あのとき長い距離を背負えって降りた、あの鹿肉」はプライスレスなんです。命を奪ったのも、それを食材に仕立て上げたのも自分。
高いとか安いとか、そんなものを抜きにした食材なんです。
獲ってくる行為もおもしろい
もちろん、獲ってくるその行為そのものもおもしろい。
山に歩き、自然を読み、動物を読み、失敗を積み重ねて、そのうち獲れる瞬間がきます。
「どうやって食べよう」
そんなことを考えながら解体するわけです。
「まだ若いシカだし、焼き肉でもいいな〜」
「スネ肉は全部カレーにして冷凍しておけばちょうどいい保存食になるな〜」
「あちゃ、前足は血が回っちゃってるなぁ……」
いつもすべてうまくいくわけじゃないので、そういう失敗を悔やんだりしつつの解体になるわけです。
その全部がおもしろい。
喜びのポイントは人それぞれ
前に会ったハンターで「獲っても食べない」という人もいました。
獲るのが楽しいというタイプのようです。人の考えに対して何も言うつもりはありませんし、楽しいポイントは人それぞれです。ぼくの場合は食べないなら獲る理由はないかな。
「余すことなく食べること」
なんて偉そうなことは言えません。持ち帰れない部位は残滓として埋めることもあります。でも最善は尽くしてます。往復して2回にわけて精一杯持ち帰ったこともあります。一方で、時間と場所の都合で、一部の肉だけを持ち帰ったこともあります。
べつに獲物に感謝とかそういうことではなくて、「せっかく獲ったならできるだけ食べなきゃもったいない」っていう、庶民的貧乏性的な考えです。
そんなタイプなので、食べない前提で獲ることはないかな(駆除は別……と言いたいところですが、やっぱり食べる事を前提に捕獲してますね)。
獲って食べるところまでがセットで狩猟。
ぼくの場合はそんな感じです。
たっぷり肉が手に入ると、肉への向き合い方が変わる
あと、安いかどうかは抜きにして、いざ獲物が獲れれば「肉がたっぷり手に入る」というのは事実です。
シカが1頭獲れれば、20kg以上の肉にはなるでしょう(回収した部位によりますが)。
狩猟をやったことがない人だと、20kgなんていう肉を前にする経験はないと思います。しかもそれは自分が消費しなければいけない肉です。
普段だと「肉を食べたいな」と思ってから肉を買いにいきますが、狩猟の場合は獲れてから料理を考えます。
焼き肉……しゃべしゃぶ……お鍋……ハンバーグ……餃子……etc
最初は好きなものを作るんでしょうけど、食べても食べても減りません。それどころかまた獲れちゃったりして「早く消費しないと!」ってなときも。
「よし全部醤油で煮るのだ!」
とぼくの得意料理はしぐれ煮。鍋一杯に作って、ガンガン食べます。醤油と砂糖などで甘辛く味付けするので、そのままで酒の肴、ごはんに乗せれば鹿のしぐれ煮丼、ラーメンに乗せてもいいし、オムレツに混ぜてもいいし、とにかくなんにでも「鹿のしぐれ煮」を入れちゃいます。
もったいぶって食べていては減らないので、日常的な食材として、当たり前に食べていくようになるわけです。
肉への向き合い方が変わります。
そういうのも含めて喜びであり幸せなんですよね。ぼくにとっての狩猟は獲る喜びから食べる喜びまでセットじゃないと完成しないイメージなんです。
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