書評『サバイバル登山家』

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今日ご紹介するのはお馴染み服部文祥氏の『サバイバル登山』。今更感もあるかもしれないけれど、最近読んだのだから仕方がない。

私が服部文祥氏のことを知ったのはここ2年くらいのことで、必然的に最近の本から入り、だんだんと興味を惹かれて、徐々に昔の著書に手を出し始めているという感じだ。この『サバイバル登山』は2006年に出版されており、単独での書籍の出版はこれが1冊目のようだ(共著は少なくともこれ以前に2冊ある)。

“サバイバル登山” というキーワードが初めて書かれた書籍ではないだろうか? もちろん、雑誌の記事などはあったはずだが。

というわけで、サバイバル登山の原点にも触れられている『サバイバル登山』を見ていこう。

『サバイバル登山』

一見どうでも良いようで、意外と服部文祥氏のロマンチックな一面を如実に表しているのは表紙だ。イワナの皮を前歯で噛んで剥ぐワイルドな写真だが、元ネタがある。

レオナルド・ダ・ビンチの『洗礼者ヨハネ』だ(と、本人が仰っているので間違いない)。

絵画参考:神々の概略

本人がこのお話をされているのはこちらの動画。他の著書も元ネタがあるようなので興味があればどうぞ。

学生の頃、ルネッサンスの画が好きだったらしい。またどこかで「学生の頃?は小説家を志していた」というお話もされていたと思う。そういう経歴が最近の『息子と狩猟に』にも繋がっている。

著書を読んでもロマンチックな面を多分に感じる。ロマンチックでなければ、サバイバル登山なんてできないんじゃないか、と思う。

 

“サバイバル登山の源流”

この本は完成されたサバイバル登山の本ではない。サバイバル登山というスタイルに思い至り、少しずつ実践していくノンフィクションの挑戦の記録だ。

サバイバル登山という言葉さえなかった、服部文祥氏の大学生時代から始まる。

大学で山岳部に所属していた氏は、卒業間近の退部直後から冬期の知床縦走に挑戦する。なぜ退部直後だったのか? どうやらあまりに危険な挑戦で、部の方から「部員にそんなことはさせられない」という忠告があったらしい。それでもやめる気はもちろんなく、退部すればよかろう、という判断で、(たしか)退部翌日に出発した。

知床縦走の途中で吹雪に遭い、キツネに食料の大半を持ち去られ、ギリギリの中でやり遂げた。

このひもじい中での成功が、「多少はひもじくてもやれる」という自信に繋がり、ひいてはサバイバル登山へと導いたのだろう。

 

大学卒業後、人に誘われK2にも登頂している。このときは大規模な登山で、本人曰く——

褒められた登山内容ではなかったし、僕が企画したものではないという意味で、K2の遠征はどこまでも自分の登山とは言いがたいが、K2サミッターという肩書きは、水戸黄門の印籠のように都合のいいものだった。

『サバイバル登山』P.33

事実、SNSで服部文祥氏の名前を検索すると、「なんかサバイバル登山とかっていうよくわからんことやってるんでしょ?」「でも、あの人K2も登ってるよ」「そうなんだ。登山家なんだね」みたいな会話を見かけることも少なくない。まさに印籠だ。

この印籠は世間体だけではなく、氏の中でも大きな意味を持ったようだ。

僕はK2の山頂を踏んだことで、登山のヒエラルキーのようなものから解放された。

『サバイバル登山』P.33

ヒエラルキーとは “縦走より沢登りが偉く、沢登りよりも岩登りが偉く、日本よりもヨーロッパアルプスが偉く、ヨーロッパアルプスよりもヒマラヤが偉いというあの階級制度” のことだ。

わたしなんかが「そんなヒエラルキーはくだらない」と言っても説得力はないが、皮肉なことに、1番偉いヒマラヤのサミッターという肩書きがあれば、そのヒエラルキーを否定できる。やっと自由になれる。

服部文祥氏の真面目さを見た気がする。登山という行為について考えているからこそ安易に否定はできなかったのかな、と思う。K2の結果により、ようやく呪縛から解放されたわけだ。

 

サバイバル登山への一歩一歩

ある日突然サバイバル登山というスタイルが確立したわけではないらしいことは、この本を読むとよく分かる。

イワナを釣るようになったり、試しに山菜を食べてみたり、徐々にサバイバル登山の密度を増していく。たとえば黒部を縦断したとき、うんこした尻を初めて雪で拭く。

イワナを捕るより、山菜を採るより、シカを獲るよりもずっと簡単なことだけど、そのとき一緒に歩いていた同行者に言われて始めて雪で尻を拭くことに思い至る。

今の氏の行為を見れば、雪で尻を拭くことくらい話題に挙げるのもくだらないくらい取るに足らないことかもしれないが、それくらい些細な一歩一歩を踏んでいるのだと実感する。

 

個人的なこと

服部文祥氏のことにはいろいろ興味がある。彼の哲学や思想にも共感する部分が多い。

かといって、サバイバル登山をやりたいと思っているわけではない。一昨日の記事で、そのことにも触れた。

参考:猟場の下見も兼ねて軽量ソロタープ野営

 

じつはわたしは登山にあまり興味がない。十年くらい前は人並みに登山が好きで、週末ごとに関東近郊の山に独りで登っていた。そのときは服部文祥氏のことも知らなかったし、有名な登山家や、先人たちの冒険の記録なども知らず、ただ山に行くのが楽しいという理由だけで登っていたように思う。

難しいこともとくにやらなかった。ガイドブックを元に行き先を決めて、登山路を歩いて頂上まで登って降りるという登山だ。

で、そういう登山にちょっと飽きてしまった。

 

でも相変わらず山は好きで、今、狩猟や釣りを目的に山に入るのがこの上ない喜びになった。遠くの高い山に登るよりも、近場の山(つまり猟や釣りで入る山)を探索するような行為に喜びを感じる。

頂上に登るのではなく(まぁ、ついでに登ったりするが、特別高くもないし、難しいことでもない)、こっちの尾根はどんな場所だろう? あっちの谷はどうだろう? この沢はどこまで続くんだろう? 源流にも魚がいるかな? シカやイノシシはどのあたりに多いんだろう?

そういうことを探るのがおもしろい。同じ山域に何度も入る。いろんな方角から入る。いろんなルートで歩く。沢沿いに歩いたり、尾根沿いに歩いたり、斜面をトラバースしたり……。それがおもしろい。

生活の一部のように山には入れたらいいなと思う。——と書いてみたものの、それがどういう意味を持つのかも、自分で分からなかったりする。たとえば先日の山行では、その山で獲ったシカ肉を持って入った。冬にシカを獲り、その肉を食べながら、次の猟期のシカを探す。また次の冬にシカを獲り、それを糧にして次のシカを探す……。循環。

サバイバルとかとは違うけど、なんかおもしろいと感じる。

なんだろうね。

 

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