書評 『羆』 熱く、愚かで、脆い人間ドラマを動物を通して描いた短編集
今日ご紹介するのは吉村昭氏の短編集『羆』です。どの作品も人間味ある、どこか哀愁漂うすばらしい作品ばかりでした。短編らしい良い作品ばかりだと思いますよ。
緊迫感溢れる世界観
この短編集には5編の短編小説が収録されています。
• 羆
• 蘭鋳
• 軍鶏
• 鳩
• ハタハタ
最初、この5編のタイトルを見たとき、「羆、蘭鋳、軍鶏にドラマがありそうなのはわかる。だけど、鳩やハタハタって小説にするほどのドラマがあるのか? いや、あるにしても羆や蘭鋳をテーマにした作品と並べてみたときに見劣りしないか?」と変な心配をしてしまいました。
とんでもない。むしろ『鳩』や『ハタハタ』にこそ感激してしまいました。
飼い熊との戦い
さて、このブログはあくまで狩猟などを主軸にしていますので、表題作でもある『羆』をご紹介しましょう。
主人公の銀九郎は凄腕の熊撃ち。彼が山に入ると地元の猟師はその山には行かないという。銀九郎はあるとき子熊を連れて帰る。売るつもりだったが躊躇し、飼っている。一方その頃、結婚し、妻への愛情から猟師をやめ、土産物屋を開く。子熊に権作と名付け可愛がり、土産物屋のマスコットとしても人気が出る。
そんなある日、もう大きくなった熊はひょんなことから暴れ、銀九郎がいないすきに、妻を殺してしまう。
銀九郎は復讐を誓い、山に逃げたその熊を追う。
とまぁ、こういうお話です。もうなんとも言えない哀愁が1文字1文字に織り込まれた作品です。上にご紹介したあらすじだけでも哀愁を感じますが、最後の1ページで、また強い哀愁を感じてしまいます。熊と人との相容れない現実を突きつけられたような気がしました。
いわゆる動物文学であって、本格猟師物ではないですね。リアルな猟の様子を描くというよりは、人間の本質を掘り下げていく部分に重きを置く作品でしょう。
とはいえ銀九郎が熊の権作を追っていく様子は緊張感があります。
蘭鋳
蘭鋳(らんちゅう)ってご存じですか? 異様に顔がボコボコとした金魚を見たことありませんでしょうか?
知らない人のために、Googleの画像検索の結果を掲載しておきます。こういう見た目の金魚で、マニアが多いのです。


さて、この小説「蘭鋳」は蘭鋳に魅せられた男の物語です。交配を繰り返し、美しい容姿の蘭鋳を生み出すことに心血を注ぐ男が、ときに揺れ、墜ちていく姿を異様な世界観の中で描き出しています。
その中で、蘭鋳のことをうまく説明している文章がありましたのでご紹介します。
「蘭鋳は、鑑賞という目的だけのために人工的な交配を繰り返されてきた。頭部には、獅子ガシラのような浮肉が異常なほどの大きさで盛り上がり、背鰭はない。それは一種の奇形であり、泳ぐ機能にも欠け、肥えた身体をくねらせ尾鰭をひらめかせて動きまわるにすぎない。が、そのおぼつかない動きに妖しい色気が感じられ、いったん魅せられた者の眼には、気品のあるれ麗魚として映るのだ。」
この奇形の魚に魅せられた男の話、という舞台設定が功を奏し、小説全体にすごみが与えられています。
ほかの作品もおもしろい
最初にご説明したように、一見迫力に欠けそうな「ハタハタ」など、この5作の中でも異彩を放つ良作だったりします。動物系の小説に興味がある人にお勧めしたい1冊です。

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