山と、犬の存在と、不確実性と

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犬という存在がおもしろい。

犬はいろんな要素を持っている。

まず仲間である。一緒に歩き、疲れて、目標を達成する。喜びを分かち合う仲間としての犬がいる。

そしてアンテナとしての犬がある。人間とは違うアンテナを持っている。人間には拾えない匂いを拾うことができる。何気ない林道を歩いていても、犬には人間には見えないものが見えており、犬の反応から気付かされるものも多い。

人間にはない勇気と運動能力を持っている。獲物を追い、立ち向かう勇気と力を持っている。

そして犬は生き物として感情を持ち、考え、行動を自己決定する。人間の思い通りにはいかない。しつけで行動の方向性を誘導することはできるが、本質的に、人間が犬の行動を決定することはできない。

山や狩猟のおもしろさは不確実性

山や狩猟、あるいは釣りのおもしろさは不確実性にあると思う。

もし山で起こることが計算できる確実性を持っていたら味気ないと思う。「今日は11:25〜14:01まで小雨、それ以外は晴れ時々曇りである」と一寸の狂いもなく予報を出したり、「9:02にあそこの尾根をシカが2頭通るが、エサに夢中で注意散漫だから容易に近づける」と動物の行動を完全に読むことが出来たら、きっと狩猟はつまらない。味気ないものになるだろう。

読めないものを読もうとしたり、想定外の事態への準備をしたり、ある種の覚悟を決めること。そこにおもしろさがある。

 

その点からすると、便利な道具はどれもこれも不確実性を薄める効果を持ち、山を味気ないものにしてしまう面を持つ。

たとえばGPS。今いる場所を数メートルの精度で確定できる。GPSがなければコンパスと地図から位置を読み取ろうと模索し、ときに読み取れず、勘を頼りに進んだり戻ったりして時間をロスすることもある。結果的に遭難すれば、さすがに良い思い出とは言えないが、そういう事態を乗り越えた経験は、いわゆる「いま思えば良い思い出だなぁ」という話になるのは多くの人が共感してくれると思う。

この路線を突き詰めると、そもそも地図とコンパスでさえ、不確実性を薄めていると言える。この最前線にいるのが角幡唯介氏だと思っている。日高山脈を地図無しで歩く活動をされている(日高山脈地図無し登山)。

 

時計もそうだ。時間が分かることは、山ではとてつもないアドバンテージになる。「あと2時間で陽が落ちる」と分かっていることと、「だいぶ陽が傾いてきたな」としか分からない状態では、取れるリスクの量が違う。この路線だと服部文祥氏が最前線だろう。電池が入るものは持って行かない、というサバイバル登山に取り組んでおり、時計も持っていかないものの1つである。

 

ぼくは両氏のような冒険活動はしていないし、それどころかしっかりGPSも使い、時計も使い、嫌いじゃない道具なら使っていくというスタイルでやってきた。現代のハンターとして、道具を、適切に使うことはなんら恥じることではないと思ってはいるし、そうすることで開かれる世界もあると思ってはいるが、そうはいっても両氏の活動に憧れと尊敬を持っていて、本当におもしろい世界はそっちだよなァ、といつも頭を垂れる想いで著書を読んでいるのが正直なところだったりする。

 

犬が生む不確実性

狩猟という形で山で活動することに不安を感じたことはあまりない。ある程度、物事を自分のコントロール下に置いて行動しているつもりだからだ。

たとえば下山時間1つとっても「日暮れ時間が16時。ここから車まで2時間だから、1時間の余裕を見て、13時に帰路につけばいいな」ッてな具合に行動する。たいていの場合はそれが受容可能な誤差で着地する。

「はい、予定通りに下山できて良かったね」

という話にはなるが、これがどこか味気ない。キリキリする感情が芽生えない。事故がない代わりに大きな感動も得られないのではないか、とさえ思ったりする。カーナビがなかった頃の運転体験と、カーナビ頼りの運転体験の違いに似ているかもしれない。

 

思えば、スマホがない頃、登山をしていて「おいおい、登山地図にある○○の分岐がいつまでも現れないけどどうなってんの? 通り過ぎてないよな? 想定よりもペースが遅いのかな? 下山のバスに間に合うンだろうな、おい」という小さな不安はいつだってあった。今ならスマホを開いて「なるほど、あと170mで分岐か。ここまでのペースを鑑みると、まだバスにも間に合うな」と瞬時にわかる。

安全性は高まっているけど、なにかを置いてきた気もする。いや、一部の冒険家を除き、一般の人は安全を優先すべきだろう。間違いない。分かってるけど……。

 

そんな中で——犬である。

結論を言えば、犬によって強烈な不確実性を放り込まれた気がするのである。

狩猟で犬をフリーにして放つ。日頃のしつけもあり、勝手に飛んでいなくなることはないのだけど、それでも何かの匂いを気取って、藪の奥へと潜っていったり、沢を越えて、向こうの尾根まで駆けて行ったりもする。

「そろそろ帰りたい」と思っても、犬はそうは思っていないかもしれない。さぁ、そろそろ戻ろうと思っても、ちょうど良いところで魅惑の匂いを嗅ぎ取って、獲物を追ってさらに奥へ奥へと吸い込まれていくかもしれない。

「いま戻らないと下山途中で日が暮れるぞ」とヒヤリとしたこともある。

幸い、うちのイチはぼくを置いて遠くまで行くことは(今のところ)ないので、本当の意味で途方に暮れたことはないのだけど、入山時に想定していたのと、まったく違う行動になることは多い。というか、そんなことばかりだ。

ちなみに「犬が言うことを聞かない」ということを不確実性と言いたいわけではない。

単純に関係する生き物が増えれば、自分の想定通りにいかないことがでてくる。それだけのことだ。グループ登山でもそういうことはあるはずだ。自分はもっとハイペースで歩けるが、遅い人がいれば合わせるしかない。

犬が「あっちに行きたい」という姿勢を見せるとき、それを無視することもできる。でも、その犬の自主性に身を任せて歩いてみてもおもしろいと思っている。実際、いつも一人で歩いてきた山を、犬を連れて歩いたとき、「あ、そっちに行けたんだ」とシンプルな発見をいくつもさせてもらえた。

 

“不確実性” を楽しめるか否かで、人生は違ってくると思っている。今日は山を軸に書いたけど、実はすべてに言えることかもしれないと思っている。宿泊業を営んでおり、不確実性を楽しめる人と、楽しめない人を毎日のように見ている。楽しめる人でありたいな、と思う。


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狩猟やってます。ひとりで歩き獲物を追う単独忍び猟が好き。2022年からはアイヌ犬のイチを連れて一銃一狗に挑戦します。狩猟系ブログ《山のクジラを獲りたくて》運営。狩猟系の本を集めるのが趣味。雑誌『狩猟生活』『ガンズ&シューティング』に寄稿し始めました。 ヤマノクジラショップ始めました:https://yamanokujira.theshop.jp

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