コッヘルについて語るときにぼくが語ること

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山で使う鍋にこだわりありますか? そもそも呼び名が分かれるところですね。鍋、クッカー、コッヘル、飯盒……。いろいろありますね。

素材とタイプで分類すれば、またいろいろありそうです。深型。浅型。丸形。角型。アルミ。チタン。つる付き。豆型(つまり飯盒)。さらに大きさも大小さまざまだし、スタッキングといって、重ね合わせて収納する組み合わせを考えると、かなりのバリエーションになります。

このバリエーションの多さと、山で火器を使うロマン性が重ね合わさることが何かの欲求を刺激するのか、あれこれと集め始める人が頻出します。ぼくも結構持っています。

完璧な使い分けと、使いこなし……。競うようにその妙技を極めるわけです。

で、自分なりに「個人的コッヘル論」でも書いてみようかと思ったんですが……。

コッヘルについて語るときにぼくが語ること
コッヘルについて語るときにぼくが語ること

ざっくり言えば2パターンのコッヘル選択

「山に行くぞ。コッヘルはどうする?」となったら、結構シンプルな思考回路の果てに、ざっくり2パターンの選択にわけられます。

「カチッと決まった活動か?」

「自由度が高い活動なのか?」

この2つです。前者の場合、コッヘルは用途に合わせて特化した選択でいいんです。たとえば「よし、日帰り山行で、昼に食べるのは焼きそばで、飲み水はすべて持参する」となれば、「焼きそばを作りやすいコッヘルを1つ選べばいい」となるわけです。

後者の場合はそうもいきません。「日帰りかもしれないし、1〜2泊のビバークはありえる。1日目の食事はラーメンだけど、ビバーク用に米と味噌を携行し、水も1日目の分は用意しているが、ビバークとなれば沢水を沸かさないといけない」という山行ではまったく違う選択になります。

たとえば1食作ればいいだけと決まっていればメスティン1つみたいな選択も大いにありえますが、飲み水を沸かしつつ、米も炊いて……となるとかなりめんどくさいんです。やっぱり鍋類は2つは欲しくて、1つはそれなりの容量(1リットル以上)は欲しくなります。翌日の行動用の水を沸かす必要もあるし、米を炊くのも一食分ではなく、夜のうちの少なくとも翌朝も含めた2食分、あるいはさらに昼飯も含めた3食分くらい炊きたいところです。

それを一気にこなすにはやっぱり、それなりの容量の鍋が欲しいわけですよ。それに炊いた米を持ち運ぶ時もあるでしょう。そうなると1つをお弁当箱的に使い、もう1つは湯を沸かすとか、おかずを作るみたいな用途に使いたくもなるわけです。

このあたりが「やることがカチッと決まっている山行」との違いです。

 

前者はスポーツ、後者は生活

で、ぼくの中では前者はスポーツなんです。

「よし、1泊2日で頂上を目指して、下山しよう。1食目はこれ、2食目はこれ……」と計画を立てて、きっちりそれに従うのはまさにスポーツ。スポーツには専門性があって、無駄は省き、洗練させていく。そういう観点で道具を選ぶわけですね。

一方で後者は「山で何日を過ごすかは分からない」という前提に立っていて、その日その日で行動を決めるわけです。ましてや「最速でどこそこまで歩く」みたいなモチベーションもなく、これは生活に近い。家の台所には鍋とフライパンと……という具合にバリエーションを持って調理具を用意しているはずです。最軽量を目指すのもちょっと違う気がしています。だいぶ極論になりますが、モンゴルの遊牧民は山岳テントとチタンコッヘルで “遊牧” するわけじゃないですよね。居住性と機動力のバランスを取っているはずです。

遊牧民は本当に極端な例ですが、生活的に山を歩くのであれば、コッヘルに求められることって、「生活力を高めること」なんじゃないかな、と思います。根底からスポーツ的活動とは違うという前提に立たないといけない。

 

生活的な山行への憧れ

日頃から言っていることですが、道具には当事者の哲学が現れると思っています。

今日お話しているコッヘルもそう。たとえば「メスティン1つで、完璧なスタッキングでストーブ類も収納して、短時間で調理し、食べて、撤収し、行動!」というのはスポーツ的発想としてとても共感できるし、ぼくにもそういう日もあります。

一方で、猟で連日山に行くとき(泊まりじゃないとしても)は「最短時間で調理・食事・撤収」とは思っていないんです。ヘタすりゃ毎日山に行くので、そんなに急ぐ必要もなくて、ドンと構えて、のんびり火を熾してメシを食うこともザラにあります。毎日毎日スポーツ的に追い込んで歩いていたら疲れるので、体力を全部使い切るような行動はせず、毎日6〜7割にセーブしたいわけです。だからしっかり休むので、ぼくの道具選びは生活的な発想が入り込んできます。

どの程度「生活的な発想」が入り込むか、はその時々で変わります。

たとえば「今日は夕方に大事な用事があって、絶対に17時までには帰宅」と思っているときは、スポーツ的発想で、切り詰めて行くことになるでしょう。

明日も明後日も山に行く予定で、状況によってはビバークも検討してる、というなら生活的な発想が強くなります。

当然、その中間くらいもあります。

 

でも、1つ言えることがあって、それは「生活的な山行」への憧れがあることと、「慣れた道具こそ使いやすい」という2つの理由から、わりとどんなときも(たとえスポーツ的要素が強い山行でも)、生活的な発想で道具を選ぶことが多いんです。やっぱり慣れた道具だとサクッと米も炊けるし、料理するのも分量なんかが目検討でうまくいく気がします。

 

で、何を使うか?

話は回りくどくなりましたが、ぼくが好き好んで使ってきたのは、ユニフレームの山クッカーでした。

山クッカーについて動画にしたこともあります。

どうも、いまは山クッカーと言えば角型が定番で、丸形は廃番のようです。oh…

まぁ、別にどっちもでいいと思いますが、なんとなくぼくは丸形が好きです。鍋って普通丸いじゃない? サイズ感もギチギチに小さい「ギリギリソロで使える」みたいなサイズではなく、2人でも使えるくらいのサイズ感で、野営するときなんかに「翌朝の米も炊いておく」なんて使い方がしやすいので気に入っています。割と浅いのでスプーンやおはしで食べやすいってのもありますね。深型だと下まで届きにくいので。

ここ4〜5年はこれで満足していたんですが、もう1歩前進して「生活型山行」を考えるようになると、さらにもうひと回り大きいサイズを使いたいと思うようになってきています。で、こんなツイートをしていたわけです。

たとえば翌日の飲み水を作るってときに2リットルくらい作りたいわけです。山クッカーだとMサイズで1リットル程度なので、ちょっと不足。

長い夜をダラダラ過ごすときにも、たっぷりのお茶を作って飲みたいなーとか、翌朝分のご飯と味噌汁を作っておきたいなーとか。容量が大きい方が運用上のメリットも大きいし、生活レベルがちょいと上がるイメージです。もちろんその分、嵩が大きくなってしまうんだけど、コッヘルは中にいろいろ詰め込めば、実質の容量はかなり小さく勘定できるので、大きな問題ではないでしょう。

自分的には、焚火缶は日帰りでは確実にオーバースペックなので、泊まりが決まっていれば焚火缶、そうでなければ山クッカーかな、と思っています。まぁ、実際に使ってみないと分かりません。

 

生活的山行

というわけで、ぼくの道具選びはいつもこの “生活的山行” がチラついているんです。前に話題にした剣ナタもそうですね。あれもスポーツ的山行ではまったく不要なのは間違いないです。狩猟においても犬がいるんじゃなければ、ほぼ不要と思っていいと思います。少なくとも「なくてもやれる」のは間違いない。

でも、生活的山行を念頭に置いて考えると、価値が見えてきます。昔の人が必ず持ち歩いたと言われるのは、そういう面もあったのではないでしょうか?(他にも理由があるだろうと、個人的には推測していますが、それは別の話)

そうやって考えると、道具選びもまたちょっと楽しいな、と思ったり。

どうでしょうね。

みなさんのコッヘルへのこだわりはありますか?


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狩猟やってます。ひとりで歩き獲物を追う単独忍び猟が好き。2022年からはアイヌ犬のイチを連れて一銃一狗に挑戦します。狩猟系ブログ《山のクジラを獲りたくて》運営。狩猟系の本を集めるのが趣味。雑誌『狩猟生活』『ガンズ&シューティング』に寄稿し始めました。 ヤマノクジラショップ始めました:https://yamanokujira.theshop.jp

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