情報収集術——フィルターバブルを越えることと、気象予報をすること
この記事を見ている読者は、きっと情報収集にネットやSNSを活用しているだろう。
もちろんぼくも使う。でも、それだけじゃマズイと思っていて、自分に課している情報収集のルールと哲学がある。
「フィルターバブル」?
フィルターバブルという言葉を聞いたことがあるだろうか?
恥ずかしながらぼくは知らなかった。最近、たまたま見ていたYouTube動画で出てきて知った言葉だが、その内容はずいぶん前から言われていることで、既知の言葉に名前がついたようなものだろう。
インターネット上の検索エンジンやSNSを通して得られる情報が,検索エンジンやSNSの利用履歴を用いたアルゴリズムによって,個々の利用者向けに最適化された情報(パーソナライズされた情報)となり,その個人が好まないと思われる情報に接する機会が失われる状況にあることを示す造語
フィルターバブル|コトバンク
小難しく書いてあるが、このブログの読者向けに例を挙げれば「twitterで狩猟系の人をたくさんフォローしていると、(twitter上の)世間の人がみんな狩猟をやっているように見える」みたいな感じだろう。
SNSだけではなく、ネット検索でも同じことが起こる。なぜなら、人は自分が知っている言葉しか検索できないからだ。たとえば狩猟が好きだと「狩猟 ザック」みたいな検索をするだろうが、その結果には狩猟系のザックしか出てこない。そうやって情報収集を重ねても、トレラン用ザックだとか、レスキュー隊が使うザックには辿り着かない。
つまり検索やSNSは自分の枠を越えられない。
ちょっと哲学めいた言い方をすれば——ネットやSNSを通して見えるものは自分そのものでしかなく、短く言えば「ネットやSNSは鏡」だというわけ。
だからこれと抗うために、いくつか意識していることがある。それが今日の話になるが、たぶん勘のいい人には言いたいことは伝わっていると思う。そうならば最後の章まで飛ばしてもらっていい。
まあ要するに「フィルターバブルを打ち破れ」って話になる。
1.本/雑誌を読む
雑誌を否定的に捉える人がいる。
「雑誌って読みたい記事は1つ2つで、あとは読まないんだよね。だからコスパが悪いのよ」
言いたいことは分かる。たしかに「どストライクに入る記事」は1つは2つかもしれない。その雑誌を買って、家で開いてまず読むのはそのストライクの記事。
たとえば雑誌『狩猟生活』に寄稿しているので例に挙げるが、ぼくなら忍び猟やトラッキング関連の記事をまず読み、続いて久保俊治さんや千松伸也さんの記事に目を通す。ここまでがぼくのストライクな記事。
だけど、雑誌のおもしろさはその先にある。
力を抜いて、コーヒーかビールでも片手に巻狩や罠の記事を開く。この辺りのジャンルは自分では検索しないキーワード。罠で何に気をつけるのか……巻狩のコツはなにか……勢子の技術とは……テンの料理の話……。ネット検索だと辿り着けない。
狩猟雑誌という、言ってみればフィルターバブルの内側にある雑誌でさえ、こうやって読んでみると、検索ではたどり着けない情報にアクセスできるのだ。
本も同様。
2.あえて隣のジャンルの情報に触れてみる
隣のジャンル、という書き方をしたが、要するにちょっと外側のジャンルだ。
たとえば狩猟が好きなら、「登山」「釣り」などの他ジャンルの情報に触れてみよう、ということ。自分のジャンルの常識が、隣のジャンルでは非常識だったりしておもしろい。
ひとつ例を挙げるなら「靴」。
狩猟だと足袋や長靴を愛用している人が多いが、登山だと軽登山靴・重登山靴あたりになり、沢登りだと沢登り用のフェルト底の靴。トレランだとランニングシューズになる。
どれも同じような場所で活動しているはずなのに、やることが違えば道具が違ってきます。場合によっては、常識に囚われず、隣のジャンルの道具を取り入れてみるのもおもしろいかもしれない。ぼくも一部ではあるけれど、「ウルトラライトトレッキング」というジャンルを参考にしたこともある。ウルトラライトトレッキングというのはアメリカなんかのロングトレイル系の人たちから始まったジャンルで、従来の縦走登山における重量級の装備を否定して、軽量化を重視した道具の考え方。そのまま狩猟に転用はできないけど、部分的になら十分使える。
また同じ「山」で活動するのは遊びの人だけじゃない。たとえば林業従事者は山のプロ。学ぶことが多い。
あるいは自然写真家・動物写真家。執念と忍耐力を持って動物と向き合ってるな、と感じることが多い。あるいは動物研究をしている研究者。追跡、観察、データ化、分析……。参考になることが多い。
隣のジャンルから学ぶことは多い。
3.雑談系の動画も悪くない
動画は情報収集の効率が悪い、とよく言われる。まったくその通りで、欲しい情報がバシッと決まっているときは、絶対にテキストの方が早い。
でも、雑談系の動画に関しては侮れない価値があると思っている。雑談動画だとちょっとした余談とか、言葉の端々からこぼれるテキストなら省略されちゃうような言葉が、いい刺激になることがある。
最近はトリミングしまくったムダのない動画が多くて、そういう意味ではつまらないな〜と感じている。あえてちょっとダラダラと長い動画を選んで、BGM代わりにすることがある。
4.ラジオもいい
ラジオは幅広いトピックに触れるならこの上ないコンテンツだ。
運転とラジオとコーヒーの相性は最高だ。
つまり自分の外側のジャンルに触れていようってことです
まぁ、いろいろ書いたが、慣れたジャンルに留まらず、外側のジャンルに常に触れていこうというのがぼくの心構えになる。
最近、冒険家の角幡唯介さんの『極夜行』という本を再読した。
まったく日が昇らない “極夜” の中、北極圏を旅する話で、幾度となく天気に翻弄される場面が出てくる。
天気を適切に把握し、適切な行動を取らなければ死ぬという、極限の世界。自分の力だけでやりきると出発した角幡さんでしたが、最後の最後、本当に厳しくなってきたところで、知人に連絡し天気を聞く場面がある。
あまりにも先の読めない天気に耐えられなくなった私は、自分の中で禁断とされていた手段に手を染めることにした。シオラパルクで犬橇活動を続ける山﨑哲秀さんにインターネットの天気予報を聞こうというのだ。脱システムだ、全部自力で判断するんだ、とかっこいいことばかり言っていた私だが、いざ追い詰められたときに発見したのは、情報通信テクノロジーで判断ばかり求めようとするシステムに囚われた現代人としての憐れな己の姿であった。
極夜行 (文春文庫)
角幡さんが諦めたこの場面で、ぼくは逆に刺激を受けた。
単独忍び猟に取り組むに当たり、「できるだけ自分の力だけで獲りたい」という気持ちがある。100%だなんて言わないが、狩猟における自分の力が占める割合を増やしていく努力だけはしたい、と思っている。
狩猟は動物との駆け引きだ。その駆け引きの重大な要因の1つが天気である。その天気を100%ネット頼りにしていいのかな、と疑問に思ってしまったのだ。昔の猟師は今のような精度の高い天気予報などなかった。空を見て、風を舐め、季節を読んで、明日の天気を予想した。そこから動物の動きを読み、裏をかいて獲りに行く。
天気予報を見ないと狩猟ができないのでは、GPSがないと動けないのと似ている気がした。ぼく自身GPSは活用しているが、地図とコンパスでもやれるという自信はある。むしろ地図とコンパスだけで行動することも多い。その技術を知った上で、GPSも活用する。それくらいのバランスが自分にはちょうどいい。ならば天気だって、ある程度は自分で読みたい……
そんなことを思って、今、気象について勉強している。毎日16時にラジオNHK第2で流れる気象通報を聞いて、明日の天気を想像する。当たらないけどね。何事も挑戦だから。
そうやって少しずつ自分の幅を広げていきたいと思っている。
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