ニワトリを通じて気付かされた「自分らしく生きる」ということ
うちのニワトリを見た人が言った言葉で「自分らしく生きる」っていうのは、1つ1つフィルターを作っていくことなのかもしれない、と思った話です。
自分らしく生きるということは、味方を作る一方で、敵を作ることもある。むしろそれをハッキリさせていくことが「自分らしく」みたいなことに繋がるのかな、と。
ニワトリを前に……
先日、来客がありました。年配の女性です。
庭で飼っているニワトリを見て、とても嬉しそうな様子。普段ニワトリを見る機会もないのでしょう。触ってみたり、声をかけてみたり、とても楽しんでいました。
うちのニワトリも人を見るとすぐに寄っていくタイプですので、お互い楽しそうでしたね。
「このニワトリは卵を産むの?」
「ええ、産みますよ。毎日産むんで、もう卵を買うことはないですね」
「ステキ」
——とここまでは女性もご機嫌だし、言ってみれば「わたしのライフスタイル」に憧れさえ抱いている様子でした。
「それじゃ、このニワトリは食べられないし、幸せね」
「いや、何年かしたら食べますよ。卵をあまり産まなくなったらね」
「え……? そう……」
女性は黙ってしまいました。後に分かったことですが、彼女はベジタリアンでした。卵は食べるタイプのベジタリアンです。ベジタリアンにもいろんなタイプがいて、卵や乳製品を食べるかどうかはかなり個人差があります。
とにかく彼女は卵は食べるけど、鶏肉は食べないベジタリアンでした。
彼女は私に対して攻撃することも、意見することもありませんでしたが、明らかに「わたしのライフスタイルへの憧れ」は消えたようでした。
自分に正直に生きること
このとき、「ああ、あんまりニワトリを食べるとか言わない方がいいのかな」と反省もしましたが、あとになって「なんでわたしが反省しないといけないんだ?」とまた疑問を持ってしまいました。
悪いことをしているわけでもないし、私の方から「ほらほら、このニワトリは食べるために育ててるんだよ!」と積極的に伝えたわけでもない。訊かれたことを答えただけです。
改めて「自分らしく生きる=自分を好いてくれる人と、そうでない人が自然と別れていくこと」なんだなと実感しました。
たとえば、わたしは8年働いた会社を辞めて、海外を旅しました。一般的に言えば無謀な生き方です。そんな私を見て「おもしろいヤツだ!」とポジティブに思う人もいれば、「よくわからん遊び人だな」とネガティブに捉える人もいます。
またわたしは狩猟をやっています。それをやはり「おもしろいことやってんだな」と前向きに捉える人も、「動物を殺す残忍なヤツ」と後ろ向きに捉える人もいます。
ほかにも大学を中退して、プログラミングの勉強に励んでみたり、会社員に戻ることもなく自営業で生活してみたり、こうしてブログを書いてみたり、人からジャッジされるポイントは誰しもたくさんあるものです。
「大学を中退するようなやつはバカだ」
「呑気に自営業かよ」
「ブログを書いてるなんて変なやつ」
と思う人もいるでしょう。そうやってわたしから離れていく人もいるだろうと思います。
でも——
結果として良い仲間にも恵まれる
たしかに、「ニワトリを食べること」「仕事をやめて海外を放浪したこと」「狩猟をやっていること」「大学を中退したこと」などを言わなければ、わたしを嫌ったり避けたりする人は減るのかもしれません。
普通の人ってやつを演じていればいいのでしょう。
でも、それだと大事な出会いも失うことになりかねません。
ニワトリを食べることも、仕事をやめて海外を放浪したことも、狩猟をやっていることも、大学を中退したことも……、そういったことを肯定的に捉え、おもしろがってくれる人との出会いです。
自分の考え方や価値観を発信すれば、認めてもらうこともあれば、否定されることもあります。
自分らしく生きるってことは、そういう人間関係のフィルターを作っていくことなのかもしれないとこの頃はよく考えます。
こちらから付き合う人を選ぶフィルターではなく、他人がわたしを評価するフィルターです。
ニワトリというフィルター
ニワトリを見ると、かなり多くの人が「食べるの? それとも卵を採るため?」と訊いてきます。
わたしは必ず「卵を採るためだけど、産まなくなったら食べるよ」と答えます。
相手の人がどう思ってもいいや、と思うようになりましたね。
ニワトリがなにかフィルターの役割を持っているような気がしています。
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