山には独りで行くからおもしろい
ソロキャン、単独登山、単独猟、単独釣行……、山遊びはいろいろやるけど、基本的にすべて独りでやるタイプです。
どれをとっても、絶対ひとりの方がおもしろいと思ってしまいます。
なんでそう感じるんだろう、と少し考えてみることにしました。
「自分がコントロールしている」感
たとえば登山。登山は計画から登山です。どの山を登るか? どこから入山するか? 泊まるのは小屋? テント? 食べ物は? 行動食は?
これらの計画を経て、やっと “山を登る” わけです。
この計画を自分で立てずに、当日ザックを背負って言われたとおりに歩くのは、おもしろいところを削ぎ落とした労働のように感じてしまうんです、わたしは。
もちろん、登山だけではなく、釣りでも一緒。何を釣ろうか? どこで釣ろうか? どうやって釣ろうか? 自分なりに戦略を立てて、「よし、こうやって釣ろう!」と決める。そしてそれを確かめるように実際に釣りをする。それがおもしろい。
ひとりだと寂しい?
ひとりでキャンプとか、ひとりで登山とかって話をすると「寂しいでしょ?」と言う人がいます。
なにも一生ひとりで生きていこうとしているわけじゃないんです。それはさすがに寂しい。ひとりで山に行ったり、釣りにいったりしても、家に帰れば家族がいたり、友だちに会ったりもします。たった1日か2日(あるいは、もうちょっと)ひとりで山の中にいても寂しいことなんかありゃしない。それどころか、少し誰とも会わない期間があるからこそ、次に誰かに会うときに愛おしい気持ちになるんじゃないか、とさえ思うんです。
空腹は最高の調味料、でしょ?
グループならグループのおもしろさがある……だけどそれは別物かな、と
わたしも会社員時代、同僚とグループで登山をしたことがあります。
おもしろかったですよ。良い思い出です。
でも、あのとき感じたおもしろさは「登山」のおもしろさではなく、「みんなで遊ぶこと」のおもしろさだったと思ってます。
そりゃ、仲間で集まれば、何をしたっておもしろいです。ホームパーティーをしたこともあるし、夜な夜な飲みに行ったりもする。そういうときに感じるおもしろさと同じなんです。
振り返ってみると、グループで登るときはいつも “お気楽登山” で、難易度の高い登山コースを、力を合わせて登る——つまり、ひとりじゃ厳しいルートをみんなで登るということはありませんでした。その場合は登山のおもしろさがあるのかもしれないとは思います。
誤解がないように改めて書きますが、それはそれで楽しかったんですよ。仲間を連れて行くのも、仲間についていくのも。ただ “登山” という点においては、やはり密度が薄く感じた、というわけです。
ひとりで描く登山表現
これは本人の技量の問題もあるし、自己責任の範疇にある行為なので「安易に人に勧めちゃいけないのかな」と思うのですが、それでも山を楽しむなら「是非ひとりでやってみて」と言いたくなります。
大きなお世話でしょう。わかります。みんなでやるのが好きって人もいると思うし、向き不向きもある。
釣りでも登山でも良いです。自分で計画して、実行する。休憩のタイミングも自分で決めていい。嫌になったら帰ってきてもいい、それでも目標を達成できたらたまらないじゃないか! と言いたい。
サバイバル登山家である服部文祥さんがいつか著書で “登山表現” という言葉を書いていました。
自分なりに理想の登山を思い描き、それを自分の身体で実現させる。それが登山表現です。服部文祥さんの場合は、できるだけ文明を持ち込まないで、自分の力で登るという理想を追求しているわけです。
そんな高度なことを考えなくてもいいと思います。たとえば、私の場合よくやるのは “この沢の魚止め(これより上流には魚がいないというポイント)を見つける” みたいなことです。もちろん自分で釣っていって確かめるわけです。
それどころか、“水が湧き出るポイントを探す” なんて挑戦(?)をすることもあります。
ガイドブックのコースタイムより早く山を歩くとか、マイナールートだけで登頂するとか、登山路がない山を登頂するとか、力量に合わせて目標を決めて取り組むとおもしろいですよ。
植物図鑑を持って行って、ひたすら木の同定に挑戦するなんて事もあります。
カメラが好きなら写真撮りながら登るのもいい。これも1人だと捗るものです。
こういうのってとにかくひとりだとやりやすいんですよ。誰にもお伺いを立てず、ひとりで黙々と挑戦することが好きなんだと思います。
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