思想ってものは自分の行動を決めるためだけに使うべきだと思う

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今日は狩猟そのもののお話ではないのですが、それでも狩猟をやっていて考えずにはいられなかったことなので、書いてみます。

思想、あるいは主義と呼ばれるものは自分の行動を決めるものであって、その思想で他人の行動を制限しようとしてはいけないと、わたしは思う。というお話です。

狩猟のスタイルも思想だと思う

思想というと、なんだか大袈裟なものを想像してしまいますが、その意味は “(1)人がもつ,生きる世界や生き方についての,まとまりのある見解。多く,社会的・政治的な性格をもつものをいう。” ってな具合。つまり生きていく上での価値観と言ってもいいと思います。

たとえば狩猟に関しても、いろいろな “思想” が渦巻いています。

  • 狩猟をするなら肉を余すことなく食べるべき。
  • 狩猟をするなら生きているものへの感謝の念を持つべき(その感謝の念を表現すべき)。
  • 狩猟は法律で認められた正当な行為。感謝もいらないし、肉も食べたい分だけ食べればいい。

他にもいろんな狩猟の思想があるでしょうね。

わたしの中にも、わたしなりの思想があります。たとえば「獲ったからには食べられるだけ食べる」「最善は尽くすが、危険が伴うならば、すべての肉を持ち帰れないのは仕方がない。ただし、撃つ時点で持ち帰り困難と判断できるなら撃たない」「当たる自信がない限り撃たない」など。

この思想が正しいとか、みんなこう考えるべきだなんて1mmも思いません。それこそどうでもいい。わたしだって、続けていく上で考え方が変わっていくだろうし、変わることは悪いことじゃない。

 

思想は自分の行動を決めるもの

思想ってのは絶対に人に押しつけちゃいけないと思う。

「おれはこう考えるんだから、お前もこうしろ」

これって、ジャイアンですよ。自己中。

 

宗教でいえば「おれ、キリスト教だから、お前も仏教を捨ててキリスト教を信じろよ」と強制すること。信心深い人にこんなことをしたらケンカになりますよ。そして戦争になります。思想を押しつけるってのはそういう話なんです。

思想ってのは、自分の行動を決めるためのもの。自分を戒めるもの。自分が生きていく指針とするものです。

わたしは先ほど書いたような考えを持っているので、「ここで獲ったら持ち帰れないぞ」と思ったら撃ちません。また、獲ったら食べるために最善を尽くします。

 

わたしは山の神(のようなもの)を信じています。わたしにとって “山の神” とは、人間を上から見ているすべてを超越した神さまという意味ではなく、自分の心の中にある「山を大切にしなきゃな」という思いを、心の中で擬人化したような存在としての神です。

だから、山に入るときと出るときは手を合わせます。獲物を頂いたときも手を合わせます。

言うまでもなく、こういうのも他人に強要すべきじゃない。わたしが黙って、ひとりでやってりゃいいもの。こうやって自分のブログで「わたしは手を合わせるよ」とは書くけど、たとえば他人の動画や記事、SNSの投稿などに対して「あなたも手を合わせるべきだ!」と押しつけることは絶対にしません。

「山で猟をやるなら、みんな必ず手を合わせるべきだ!」

なんて言おうものなら、みんなから「アホか」と突っ込まれるのが目に見えてます。笑

 

広げたいなら他人を否定せず

わたしが平和主義者というか、できれば穏やかに生きていきたいタイプだからこう考えるのかもしれませんが、もし自分の思想を広げたいなら、他人を否定せず(つまり他人の思想をあざ笑ったり、否定したりせず)、自分の思想の魅力を語るべきだと思うんですよ。

 

たとえば、ですが。わたしが「肉は無駄なく食べるべき!」という思想を広げたいなら、下のどちらがいいでしょうか?

  1. 「肉をムダにするなんて獲物に失礼! そんなやつ猟をやる価値もない。やめちまえ!」
  2. 「みんながあまり持ち帰れない○○っていう部位も、こうやって料理すれば超おいしい! オススメだよ!」

北風と太陽とでも言いますか、おいしい部位だけ持ち帰る人が、1を見て「おお、そうか、これからは俺も持ち帰ろう!」となりますかね? 一方、2を読んで「たしかにうまそう」と思えば、次は持ち帰ってみようかなと思うかもしれません。

事実、先日Twitterで「シカのサガリがうまい」という趣旨のツイートがあって、わたしは「サガリってなんだ?」と調べてみたところ、横隔膜のことなんですね。つまりハラミと似たようなもの(ハラミとサガリは横隔膜の別の部位のようですね)だと知りました。

これを見て「横隔膜も食えるんだよなぁ」と思い至り、次にシカを獲ったら試してみようと思ったわけです。

 

※誤解されないように補足しておきますが、「肉は無駄なく食べるべき」という思想を広げたいと思っているわけではないです。あくまで「もし広げたいなら」という仮定の話。

 

狩猟は思想が取り巻いている

狩猟をやる以上、生き物の生き死にから目を逸らすことは出来ず、こういった思想が結構強く渦巻いているようです。

「そんな思想いらないよ!」

という意見も見かけますし、そういう意見があるのも頷けますが、「そんな思想はいらない」というのも一種の思想。

他人を自分の思想で評価しない限り、そうやっていろいろ考えることは悪いことではないと思います。わたしもたくさん考えるし、考えすぎて馬鹿らしく思えることもあります。考えるのが好きなので、つい考えちゃうんです……。悪い癖なのかな……。

 

改めて言いますが「あなたの思想はあなたのもの。わたしのものではありません」ってこと。押しつけられても困ります。


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狩猟やってます。ひとりで歩き獲物を追う単独忍び猟が好き。2022年からはアイヌ犬のイチを連れて一銃一狗に挑戦します。狩猟系ブログ《山のクジラを獲りたくて》運営。狩猟系の本を集めるのが趣味。雑誌『狩猟生活』『ガンズ&シューティング』に寄稿し始めました。 ヤマノクジラショップ始めました:https://yamanokujira.theshop.jp

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