不要派も多い中で、わたしが剣鉈を使う理由
単独猟をする人だと “剣鉈” は使わない人も多いですね。その理由も頷けるもので「まったくその通り」 と頷きつつ、「でもわたしは持つ!」と頑固に持ち歩いています。
まぁ、最終的には好みや考え方の問題なので、「持つべき」とか「持たないべき」とか思わないですが、わたしなりに「剣鉈を持つ理由」を書いてみたいなって思います。
わたしの剣鉈
これがわたしが使っている剣鉈です。いわゆるマタギナガサと同等の剣鉈で、大きさは6寸。
秋田県のマタギが使っているナガサと呼ばれる剣鉈で、実際に秋田の鍛冶屋さんにお伺いして購入しました。上の写真は未使用の状態なのでキレイですが、いまは使われて、傷や汚れもついてきましたね。
購入時の話はこちらでご紹介しています。
わたしはマタギの方々を尊敬しています。なにも「昔ながらの毛皮をまとったマタギの格好をして猟をしたい」という意味ではなく、生活と猟と自然が密着したその生き方や、自然を崇め、山・生き物を敬う姿勢やその精神性を尊敬しているという意味です。
実際に秋田に行って現役のマタギとお話して、そういう気持ちはさらに強まりました。
で、このマタギナガサを猟では毎回欠かさず持ち出しています。
その理由というか、自分なりの思いを書いてみたいと思います。
1.象徴としてのナガサ
いきなり抽象的な理由で申し訳ないですが、わたしにとってこの剣鉈(マタギナガサ)という道具はただの刃物以上の意味を持っています。
マタギにとっても、このナガサというものは特別な意味があるようです。元来日本で刃物というものは特別な道具ですよね。日本刀などを思い浮かべると分かると思います。
実際、マタギは熊を獲ったとき、最初の腹開けは必ずシカリ(猟隊のリーダー)が、自身のナガサでやると言います。
そういう話を聞いていたわたしとしても、やっぱりナガサという道具は特別な意味を持っています。山に入るとき、腰にナガサを結ぶと自然と心が引き締まります。自然や山に対して恥ずかしくない猟をしないといけないなって思います。
そういうマタギの精神性の象徴として、ナガサという道具を持っていると言えますね。
2.非常時用の道具としての剣鉈
剣鉈が活躍するのは非常時だと思っています。
何らかの理由でビバークするとき……。遭難であれなんであれ、山で寝ると覚悟したとき、剣鉈はかなり頼りになります。もちろん使い慣れていないと、突然のビバークで使いこなせませんから、日常的に使っている必要があります。
枝を並べて即席の風よけを作るとか、焚き火を熾すとか、そういう用途で力を発揮します。
もちろん小さいナイフでもそれはできるのはわかる。でもお守りとして「これがあればなんとかなる」という自信は心の支えになるものです。
3.獲物の止め刺し
獲物を獲ったとき、まだ息があるなら止めを刺す必要があります。つまり殺すと言うことですね。
何を使うか?
もし獲物が暴れていたりして、こちらが近寄れないならば鉄砲で仕留めることになるでしょう。
でも危険がない限りは刃物で仕留めることを選ぶと思います。「できれば刃物でやるべき」と言いたいのではなく、「わたしは刃物を選ぶ」というだけのことです。
「理由は?」と聞かれると……う〜ん、自分の手で仕留めたいというエゴでしょうか? もちろん「できるだけ鉄砲を使わないようにしたい」という気持ちもあります。近距離で撃って、近くの岩にあたり、その破片が自分に当たるなんてこともないとはいえないですしね。
まぁ、何にせよ、微妙に息がある程度なら危なくもないので、剣鉈で止め刺し&血抜きをすることになります。
4.ないと思うけど、最後の武器として
これは正直、あんまり考えてないな〜。ならなぜ書くか、というと自分が剣鉈を持つ理由をもっともらしくしたいという気持ちがあるからかもしれません。
まぁ、もし、熊かイノシシに襲われて、鉄砲が使えない状態ならば、もちろんこの剣鉈が最後の武器になります。そのときは勝てないでしょうね。でも、素手よりはいいかと。生きて帰れる可能性が1〜2割くらいは上がるんじゃないでしょうか?
それを期待しているわけじゃないですが、どこかでその覚悟は持っています。
5.いつか猟犬を飼う日を想像して
いつの日か、それが近い将来か、遠い未来なのか分かりませんが、猟犬を飼いたいなぁ、という気持ちがあります。
犬と自分の二人っきりで猟がやれたら楽しいだろうな、という妄想です。
犬がいると、剣鉈の利用頻度は増えるはず。犬が絡んでいる獲物を仕留めるとき、鉄砲を使うと犬を撃ってしまう可能性があるためです(他にも理由があるかも)。
そういう未来を考えて、今から使い慣れておくのも一興かな〜って。
いらない派の意見
「剣鉈はいらないよ〜」という意見をよく見ます。
「最初に買ったけど、数年したら使わなくなった」という意見もよく見ます。
もしかしたらわたしもそうなるかもしれません。そういう未来は否定しないでおきたいと思います。でも、人に迷惑をかけない限り、自分で好きな道具を使う権利はみんなあるわけですから、わたしもその権利を行使して好きな道具を使っているってだけのことです。
いらない人の意見はシンプルで合理的です。
- 重いよね
- 止め刺しは鉄砲でいいよね
- 藪払い的なことはシカが逃げるからやらないよ
- 熊とナイフで戦うなんて無理だよ!
という感じでしょうかね。至極もっとも。
すべての「いらない理由」を凌駕する言葉
こういう不要派の意見は頷けるもので、まったく否定する気はありません。むしろ納得です。
そういう意見と争う気もないし、「だよね〜」と膝を打つばかりです。
でも……、しかし……、そういう「いらない理由」を凌駕する言葉が1つだけあります。
「好きだから」
結局は好きだから持っているんですよ。鉄砲だって単独猟では主にMSS-20を使っていますが、精度が高いとか、理由を挙げることもできますが、そんなことより「好きだから」という気持ちが強いです。
解体で使っているナイフも結局は「好きだから」それを使っているってだけです。装備の1つ1つを思い浮かべたとき、やっぱり理由はあれど、最終的には好きだから使ってるってのが大きい。
好きな道具を使って猟をやるのは気持ちがいいし、その道具を大事に使おうという心構えにも繋がります。
好きな道具を、大事に長く使いたいものです。
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