単独猟日記11:力でねじ伏せるように獲った2頭目のシカ
初シーズン、折り返し地点を迎える直前に、2頭目のシカを獲ることができた。その一部始終を。
ちょうど昨日の記事の翌日の話だ。
※ 獲ったシカの写真含め、人によってはショッキングに感じる写真もあります。そういったものを見たくない方はページを閉じるようお願いします。そういった写真は面白半分にご紹介しているものではなく、誰かの役に立てば、と思って掲載しています。ご理解いただきますようお願いします。
シカの神秘性
この日、歩き始めて小一時間ほどで、いきなり鹿の群れに遭遇した。5〜6頭の群れで、自分が歩いていた斜面のはるか上の方を歩いていた。距離は100m以上。こちらに気付いていないようで、ゆっくりゆっくり歩いていた。
このとき、手は弾をとりだして、装填して……といつもの鉄砲の用意をしていたが、頭ではまったく別のことを考えていた。
「こういうシカの群れが、山の中を歩き回っているなんて、やっぱり自然ってすごいなぁ」
何頭もの鹿が歩いているのに、足音1つ聞こえない。まるで音をさせない神様みたいなもの(映画『もののけ姫』のシシ神様みたいな)に思えた。
立射で自信を持って当てられる距離ではないので、その場にしゃがみ込み、足下の切り株に銃を乗せて、群れに銃口を向ける。バックストップもある。しかしシカが止まらない。歩みは遅いのだが、淡々と歩いてしまうので、当てる自信が湧かないまま、群れは姿を消してしまった。
当てられるシカだったと思う。自分が撃つ決断をできなかったことだけが敗因だった。一方で、撃てなかったことがショックに思えないほど、悠々と歩く鹿の姿に感動してしまった。
昨日と同じ場所で、またもシカに遭遇
昨日、シカに遭遇した場所を同じように歩く。これまでの経験で、意外とシカは同じ場所にいる傾向が高いと思っている。
斜面をトラバースするように歩きつつ、昨日シカがいた斜面の下方を隈無く観察する。
きっといるはずだ、と立ち止まってよく探すが見当たらない。斜面の傾斜が途中から急になるので、その下にいるシカは完全に死角になる。
と、そのときガサガサとシカが逃げる音。やっぱりいた。まだ姿は見えないが、弾はすぐに装填。撃つ準備をする。
一瞬シカの背中が見えたが、それっきりで逃げていってしまった。
「また逃がした」
と思った直後、2頭目、3頭目が逃げ始める。さらに4頭目、5頭目と続く。どれも死角にいたし、逃げるルートもこちらからほとんど見えないため撃つ余地がないのだが、相当な数のシカがいるようだ。数えたわけではないが15頭前後はいたと思う。
シカの習性と山の知識
最後のシカが逃げる。もしかしたら姿が見えるかな、と期待して銃を構えているが、一瞬背中が見えるだけで撃てる感じにはならない。
諦めるか……、と思ったときだ。
隣の尾根の斜面で音がした。というよりも、逃げたシカの群れは今いた斜面をはるか下まで降りて、隣の尾根の斜面を登り始めたのだ。この群れの先頭のシカが隣の尾根の斜面に入った音が聞こえたことになる。最後尾はたった今逃げ始めたところ。つまり先頭と最後尾にはこれだけの差が付いている、ということだ。
「……ってことは、最後尾のシカも、群れを追うわけだから、隣の尾根の斜面に向かって逃げるはず」
群れで逃げるときは、十中八九前のシカを追うように逃げる。今回の場合、最後尾のシカが向かう場所が完全に把握できたことになる。
そして、さらに重要なことは、隣の尾根に向かう近道をわたしが知っていたという事だ。
昨日の記事で書いたとおり、この山はかなり歩きやすい踏み固められた道が通っている。そして、今いる尾根から、隣の尾根までその道が繋がっているのを知っている。
「今から走れば最後尾のシカを先回りできる!」
その瞬間、自然と足は動いた。過剰に音をたてれば逃げるルートを変えられてしまうかもしれないから、極力音を殺しつつ、走る。
「間に合え間に合え」
先回りして、斜面を駆け上がるシカが見えた。最後の2〜3頭が斜面を登っている。シカといえども、急斜面を登るのは早くない。また、疲れているからか、急ぎつつも休み休みという感じ。
身体が自然と銃を構える、スコープの中には最後尾の2頭。オスとメス。自然と最後尾のメスに照準を合わせる。一瞬、シカが動きを止める。距離は50mほど。銃声。
シカ探し
撃たれたシカは前足を上げるように跳ね上がった後、なかば転がり落ちるように、斜面を下方に降りていく。当たったのはまちがいない。途中から死角に入り、見えなくなったので急いでその場に駆けていく。急斜面だったので、ずるずると滑りながら、シカが転がり落ちた斜面を降りていく。血の跡を探すが見つからない。
「なんで血がない?」
斜面を降りきった谷間は沢になっていた。水量が極度に少なく、本当に舐めるように流れる沢だった。とにかく血が見あたらない。鹿の足跡だらけで、どれが撃ったシカのものか分かる気はしない。いや、かなりの致命傷のはずで、そんな歩けるような状態じゃないはず……。
沢に沿って降りていくしかない。ケガを負ったシカは斜面を上がれないので、下へ下へと逃げていくという。
沢を降り始めてすぐ、唐突に肉片がひとつ落ちていた。その十メートル先にうずくまっているシカ。万が一にでも生きていたら、反撃される可能性もあるので鉄砲を向けつつ、近寄る。
しかし、そのシカは完全に事切れていた。
解体
今回のシカは右肩から弾が入り、心臓近くの動脈や内臓を破壊していた。心臓に入る動脈も切れ、心臓もわずかに傷ついていた。状況的にほぼ即死だったと思う。
猟がおもしろいと思っていても、鹿を殺すことがおもしろいわけではない。ましてや苦しめて殺すのは嫌だ。こうして即死させてやれたことは、やっぱり嬉しいと思うが、これも所詮自分を慰めるエゴか、とも思う。
前回もそうだったが、獲った直後はやっぱり興奮している。喜びだけじゃなくて、「鹿を殺した」という実感でいろんな感情が込み上げる。しかし、おいしく食べるなら血抜きや内臓の処理を急がないといけない。考える暇はない。のんびり感傷に浸ることは許されない。
ロボットになる、という表現があるが、まさにそんな感じ。感情を押し殺して解体に入る。
まだ2回目の解体で、勝手が分からないのだが、それでも2回目は1回目に比べてずっと早く終わった。まだまだ解体は下手くそだが、とにかく獲れる肉を全部獲って、袋詰め。
ザックに縛り付ける。
こうやって見ると小さく見えるかもしれないが、パンパンに詰まった肉の塊だ。前足は片方ダメになっていたが、それ以外の前足1本、後ろ足2本、背ロース、心臓、肝臓が入っている。
1時間半ほどかけて車に戻る。帰り道はとても不思議な気持ちになる。
自分が山に入る前に比べて、この山から1頭のシカが減っている。減ったシカは肉になって、わたしに背負われている。山にいるシカたちがそのことを喜んでくれるはずはない。山にいるすべてのシカに嫌われている感覚。晴れやかな気持ちとはちょっと違う気持ちで下山する。
帰宅後精肉して、真空パックにして、冷凍。下の写真は肉の一部。背ロースは熟成させるし、心臓と肝臓はこの数日中に食べきる。
すべてを終えて、夕食を食べつつビール。やっと心が落ちついた。
単独忍び猟の難しさ
獲ったからこそ思うのは「単独忍び猟って難しい」ということ。
他の猟と比較するつもりはない。巻狩と比べて難しいとか、そういうことではない。ただ、たまたまわたしが取り組んでいる単独忍び猟という行為の難しさを、獲物を獲ったからこそ痛感している。
獲物を獲った帰り道、車の中で考えた。
「もし、時間を巻き戻して、今日シカを獲った5分前に戻ったら、また獲れるだろうか?」
たぶん、獲れないと思う。いや獲れるかもしれない。でも獲れないかもしれない。少なくとも自信を持って獲れるとは言えない。
1日中山を歩いて、数回しかないチャンスをものにするのは容易なことではない。臨機応変といえば簡単だが、その時々で最適な行動をしなければ獲物は獲れない。
「獲物と出会ったとき、急いで据銃するか、ゆっくり据銃するか」
「逃げるシカを追うか、あえて追わないか」
「動いているシカを撃つべきか、止まるのを待つべきか」
「委託して撃つか、立射で撃つか、膝撃ちするか」
「そもそも撃つべきか、撃つべきでないか」
こういう判断を本当に数秒以内にやらないといけない。自分の出した答えが合っていて初めて獲物が獲れる。自分が獲った瞬間を何度も思い返してみるけど、どうして自分が正しい答えを出せたのか、今でも分からない。あの瞬間、がむしゃらに出した答えが、たまたま正解だったとしか言いようがない。
だから、あの瞬間に戻されても、同じ答えを出せるとは思えない。
でも獲った。運良く獲ったのではなく、自分の力で獲れたと自信を持って言える。
次も頑張ろう。
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