書評『ラスト・マタギ』 15歳でクマを撃った男の人生
15歳で初めて熊を撃ったという志田忠儀さんの自伝的著書『ラスト・マタギ』を読んだのでご紹介します。
狩猟ができないから本を読む
《このブログについて》で書いたとおり、ぼくはまだ狩猟免許も持っていない猟師見習いにもなれないひよっこです(っていうか卵以下)。
でも狩猟への憧れや猟師の生き様への興味から、狩猟・マタギなどを扱った本を読むのが好きなのです。
今日は15歳で初めて熊を撃ったという志田忠儀(しだただのり)さんの自伝的著書『ラスト・マタギ』をご紹介します。
志田忠儀さんの生き様
この本はいわゆる猟師の技術やマタギの生態を明らかにしようという本ではありません。
そういう大きな視点から書かれたものではなく、もっとミクロの視点で、志田さん自身の生き様を書いています。
書名『ラスト・マタギ』からも分かるように「現代に残る最後のマタギ」として志田さんの生涯を描き、現代のマタギがどう生きてきたかが非常に興味深く書かれています
グダグダ言わずに志田さんの経歴を見てみましょう。
8歳で山に入り、15歳で初めてクマを撃ち、生涯で50頭以上の熊を仕留めた伝説の猟師の半世紀!
書籍の帯より
クマです。鹿や猪ではありません。当時、(いや今でも)クマを撃つというのは大ごとでして、
あの頃、クマを仕留めた人は自分の銃も荷物もすべて他の人に背負わせることになっていたので、わたしは手ぶらで山から凱旋したのである。
『ラスト・マタギ』p.27
ってな具合。15歳の少年が荷物を周囲の大人に持たせて、山から下りてくる姿というのは凜々しいを通り越して神々しいまでのオーラを感じます。
しかし人生は楽じゃない
猟師としては華々しいデビューを飾った志田さん。その後も素晴らしい成果を上げていくのですが、時代は彼も逃がしませんでした。
戦争です。
招集され、戦地に赴き……、という当時多くの青年が辿った道筋を辿り、彼は生き延びます。
帰国後、生きていくためにお金も必要です。そこで「山を知り尽くしている」といわれていた志田さんは国立公園の管理員となり、また当時流行していたであろう登山で起きた事故の救助隊としても活動します。
つまりマタギとして生まれた彼は時代の流れの中で、「山の仕事」を見つけていくのですね。
わたし個人的にはこの流れがおもしろいと感じました。
どの時代も「山を知る人」が必要
「山の仕事」とひと言で言っても、その内容は時代と共に変わっていくのでしょう。
「猟師」が仕事となる時代もあれば、「ガイド」「救助隊」「山小屋経営」「林業」などが山の仕事になる時代もある。
でも1つ言えるのは、いつの時代でも「山を知る人」は必要だということです。日本は国土の75%が山です。その75%を知り抜いた人というのは、いつの示談でも必要とされるのでしょう。
「マタギ」と呼ばれる人が減っていったとしても、「山を知る人」がいなくなったら大変です。そんなことを、この本を読みながら感じました。
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