【書評】自力と他力(五木寛之)——自分の力で獲るということを考える
狩猟を始めてすぐの頃——とくに最初の2年ほどの間、ぼくは「自分の力で獲りたい」ということにこだわっていました。
その証拠に、初めて獲ったイノシシが、どう贔屓目に見ても「偶然獲れた1頭」だったので、それに納得できず、「なんとか自力で獲りたい」と熱くなっていたことは自著にも現れていたはずです。
自分の力で獲る。自力で獲る。最初の頃の大きなテーマでした。でも、じつはその感覚は徐々に変わってきています。むしろ「自分の力で獲る」だなんておこがましいのかもしれないとさえ思い始めています。
——と、そんなことを考えていたときに「他力」という言葉と出会ったのでした。
『自力と他力(五木寛之)』
他力本願——②俗に、もっぱら他人の力をあてにすること。
広辞苑
“他力本願” と言うと、他人頼りの「よくないこと」として言われます。でも、元々の意味は違うんです。広辞苑には上記の②の意味に先だって①として挙げられています。
①阿弥陀仏の本願。
広辞苑
と言われても、まぁピンとこないと思います。そしてここで書きたいことは仏教論ではないので、「阿弥陀仏の本願」については深入りしません(まぁ「南無阿弥陀仏」と唱えていれば救われる、という考え方と繋がるものです)。
本書の中で五木寛之氏は「他力」のたとえ話として「ヨット」を挙げているのですが、それが大変わかりやすい。
私はかつて他力のはたらきを、風にたとえたことがありました。
エンジンの着いていないヨットは、風が吹かなければ動きません。逆風であれ、順風であれ、まったくの無風状態では帆走することは不可能です。
ヨットの操作、帆の操作は自分の力で磨かないといけない。でも、いくら力を磨いても、風が吹かないと進まないんです。
その風が他力である。他力を抜きにして進むこともできないし、他力を期待することも悪いことではない。
むしろ他力あってこその自力である。というのが本質だと思います。
狩猟も他力。
「これ、まさに狩猟のことだ」
って思ったんです。
たしかに狩猟に技術はあります。動物の居場所は季節や天気である程度の傾向があります。
だけど、獲物が獲れるかどうかは技術だけじゃない部分もあるんじゃないかな、と思うんです。
「いつも獲物がいる場所に行って見たら、なぜか今日はいなかった」ってことありません?
ヨットの風のようなものが、狩猟にもあると思うんです。自分にはどうしようもない大きなうねりのようなものが。
人事を尽くして……
もう1つ五木寛之氏のおもしろい言葉を挙げておきます。これもやっぱり狩猟に繋げてぼくは捉えてしまうんです。
「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉を、
「人事を尽くさんと思うは、これ天命なり」
と私は勝手な読み方をしています。
この「天命」こそ他力です。一般的な「人事を尽くして天命を待つ」という言葉の意味は「たくさん努力をしたから、あとは天命にまかせるぞ」みたいな感じでしょう。天命は運というよりも、「世界の大きなうねり」みたいな意味だとぼくは思います。ギャンブルで「流れ」って言葉がありますよね。「流れがきているから勝てる!」みたいな。そういう流れのことです。
五木寛之氏は、このことわざを読み替えて「人事を尽くさんと思うは、これ天命なり」と書いています。これを少し分かりやすい言葉に直すと——
全力で努力をできることは、それがすでに天命である。つまり努力したから天命を待つ、というよりも、その強靱な努力ができたことはすでに大きなうねりの中にいるからできたことである。
その努力自体、自分の力だけじゃできないのだよ。ヨットの風のようなものが吹いていたから、天からの力が働いたからこそ、それだけの努力ができるのだよ。
——みたいな意味だと思っています。
山の中で「おれは獲りたい! 絶対獲物を獲るぞ。そのためにできることは全部やるぞ!」とがむしゃらに取り組むことは、それ自体がとても自然なことだと思うんです。山の中の肉食獣で「まぁ、獲れても獲れなくても良いから、のんびりやろうっと」なんて思う動物はいないわけです。
自然の一部になる。山の一部になる。という言葉の中には「本気で獲る」がある気がするんです。
自分の力で、自分のために獲る、じゃなくて
「自分の力で、自分のために獲る」を最初はモットーみたいにしていたんですが、いまはちょっと違うんです。
たくさんの努力はした上で、自然のもつ大きなうねりに身を任せつつ、家族のために獲る。
めちゃくちゃ抽象的だし、スパッと伝わらない気がするんです。ああ、伝わりにくい概念だな〜と思っていたとき、今回の本でも挙げられている「他力」という言葉に出会ったわけです。もしかしたら「他力」の考え方をうまく取りこめば説明できるようになるかもしれない、という期待を込めて読んだんですが、やっぱり良かった。
殺生を嫌う仏教の言葉で、殺生を伴う狩猟について説明しようとするのは、どこか後ろめたいのですが、この他力の考え方は狩猟のどこかに絡みつくような気がしてならないのです。
——ということを忘れたくなかったので、備忘録的に垂れ流してみました。ちゃんちゃん。
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