どういうハンターになりたいか、と考えてみる
狩猟をやらない人から見ると、ハンターといえば、まるで1つの人種であるかのようにザクッと囲ってしまいがちですが、実際には人それぞれでまったく違う。
巻狩・単独忍び猟・鳥撃ちといった猟法だけではなくて、「なぜ猟をやるのか?」という原点からして違うから、ハンター同士でも相容れないことがある。
狩猟をやる人の中では、これは当たり前のことなんだけど、ふと「自分はどういうハンターになりたいのかな?」と自問してみることにした。自分の中ではある程度整理されていることなんだけど、ちゃんと言葉にしてみたいな、と。
きっかけは狩猟業界マトリックス
“サラリーマン猟師”こと@TaketoOgawaさんが『狩猟を5年やって見えた狩猟業界マトリックス図』という記事をアップしていました。
ハンターを4つに分類する記事です。
まぁ、分け方は色々あると思いますが、1つの考え方としておもしろいな、と。
4つの分類とは
詳しくは@TaketoOgawaさんの記事をご覧ください。ここでは4つの分類を思いっきり短く定義します。若干、自分なりの解釈を加えていますのでご了承を。
- スピリチュアル領域:文化・伝統・思想を重要視する人。
- サバゲー・ガンマニア領域:銃やナイフを中心に道具に傾倒している人。
- ビジネスライク領域:ジビエビジネスなどに取り組む人。
- パリピ領域:楽しさ命な人。
自分はどこに分類されるか?
最初、自分はパリピ領域だと思いました。「楽しく取り組む」のが大事なことだと思っているから。でも、ふと別の言葉が浮かんできます。
「楽しければOK?」
いや違う。文化・伝統・思想を無視してまで楽しくやるのは違うと思う。昔ながらの思想に絶対に従うべきだ! と思っているわけではないんです。でも自分の中にあるポリシーがあって、そこを曲げてまで楽しさを優先するのは違うな、ということです。
たとえばわたしは食べないものは獲りません(狩猟ではね。駆除は別のお話、以下全て狩猟の話)。
食べるのをやめて獲ることだけに専念すれば、もっと数を獲ることは可能です。もちろんハンターですから獲れれば楽しい。だけど、それは自分の思想に引っかかる。「美学に反する」とでも言いましょうか。
この美学ってのをわたしは結構重要視していて、他人にあえて伝えることでもないけど、自分の中では大事にしている美学ってあるものです。
どんなハンターになりたいか?
ひと言で言えば「生活に密着したハンター」になりたいのです。
たとえば、田舎の爺ちゃん婆ちゃんが、家族用+αくらいの畑で、野菜を育ててたりするでしょ。あの感じなんです。……って伝わりますかね?
ああいう畑って(もちろん人によるけど)、生活の重要な支えになっていると同時に、生きがいでもあるんじゃないかな。「お金があるなら買えばいいじゃん」って意見もあると思うけど、そこは自分で育てたものを食べたいって気持ちもあると思う。んで、余った野菜は近所の人に配れば、交流も生まれ、もしかしたらお返しに別のものをもらえるかもしれない。季節の変化も畑を通じて感じることができる。
そういうのを猟でやりたい。
狩猟で食べる分+αの獲物を獲って、親類・友人・近所の人にお裾分けする。それ自体が交流に繋がるし、なにより獲ることが楽しいのだから言うことはない。
駆除もやる。それはひとつの地域貢献として。地域のゴミ拾いとか、消防団とか、そういう地域活動の1つだと思う。自分が好きなことで地域に貢献できるなら、そんなに嬉しいことはない。
んで、たとえばマタギの精神なんかも尊敬していて、宗教的に同じ祈りの言葉を捧げるかどうかは抜きにして、でも心持ちとしては同じものを持ちたいと思う。うまく言葉にできないけど狩猟が持つ神秘性みたいなものを、わたしは大事にしたいと思う。
でも、楽しむ。それはもう大前提というか、当たり前のこと。楽しくなければやるわけがない。それはたとえばマタギだって同じだったはず。「辛い辛い、でも仕方ないからやる」ではなかったはず。
ちょっととりとめもない話になった気もします。でもまあ、たまにはそれもよいかな、と。
また、おもしろいと思ったらこちらをクリックしていただけると、ランキングが上がります。応援のつもりでお願いします。
ブログ村へ