妻から学ぶ、山で1番大切な「自己観察力」のこと

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釣りでも登山でも、自然の中に入っていくときに1番大事なことは「自分の身体と心の状況をよく観察すること」だと思っています。

どんな道具よりも、テクニックよりも大切だと信じています。

このように考えるようになったきっかけも含め、大切さを語ってみたいと思います。

身体の変化に鈍い人間です

わたしは元来、自分の身体の変化に鈍い人間です。

一方妻は「今日お菓子を食べ過ぎたからお腹の調子が悪い」とか「粉ものばっかり食べたからお腹が重い」とか、とにかく日々の身体の変化を敏感に感じ取っています。

わたしなんか、訊かれなければ自分の身体の変化にもろくに気が付きません。もちろん、ある意味では身体が丈夫だと言えるかもしれませんが、それにしたって妻の「変化に気付く能力」は見習うべきものがあると思っています。

3週間のトレッキングの経験

さて、話は変わりますが、何年か前に妻と2人でヒマラヤ山脈を3週間かけて歩くトレッキングをやったことがあります。ガイドをつけず、自分たちだけで歩きました。

最も高度が高い地点で標高5416m。そりゃ、8000メートル級の山に比べれば大したことないと思われるかもしれませんが、それにしたってかなりの高所。高山病とまではいかないまでも酸素の少なさや、身体への負担を実感する高さです。

さて、わたしと違い、妻はそれほど体力がありません。普通の日本の登山経験はありますし問題もないですが、他人のペースで歩けばグッタリ疲れてしまいます。

無理させたら最後まで歩けないかもしれない。そう思ったので、わたしたちがとった戦略は「とにかく自分の身体の調子を観察し、ちょっとでも負担を感じたら休む」というものでした。

心拍数が上がってくるのを感じたら、立ったまま数秒〜数分休む。わずかでも水分不足を感じたら少しだけ水を含む。エネルギー不足を感じたら行動食を食べる。体温が上がるのを感じたら、上着を脱ぐ。どれも大事なことは先手先手をとっていくこと。バテて、ゼエゼエ息が乱れてから慌てて休むとか、空腹で辛くなってから食べるのではなく、そうなる前に、小さな前兆に、小さく対処するわけです。

とくに標高が高くなってきてから、この戦略はいきてきました。

標高が高いと本当に身体は無理がきかなくなってきます。ちょっとした疲れがそのまま頭痛に繋がるし、精神的にも不安が増してきます。

特別体力があるわけでもない妻が、この長く、高地のトレッキングをやり通すことができたのは、道具の良し悪しでも、体力の有無でもなく、彼女が得意な「自分の身体の変化に気付く力」だったと思っています。

良い勉強でした

この体験は本当に良い勉強で、「自分も妻のように自分の体調の変化に敏感にならないと!」という気持ちが高まりました。

今でも彼女のようにはいきませんが、それでも山では頭の上から足の裏まで、意識的に観察します。漠然と「よし、調子が良い!」ではなく——

「頭はどう?」「大丈夫」
「呼吸は?」「少し息切れしてる」
「心拍数は?」「少し上がってるけど、ちょうどいいと思う」
「太ももは?」「登りが続いて、少し疲れを感じる」
「足は」「痛みはないけど、ほんのちょっとだけつま先が靴に当たってる感じがある」

といった具合に自問自答をします。で、必要に応じて対応するようにしています。

たとえば上の例で言えば、息切れが始まっているので立ったまま呼吸を整えるでしょう。またつま先に違和感があるということは靴擦れの前兆かもしれません。痛みが出る前に絆創膏でも貼っておきます。

どんな充実したファーストエイドキットがあろうとも、どれだけ高価なウェアを着ていようとも、それを上手に使いこなせなければ意味がありません。この自己観察力こそが1番大切なのだと思っています。

実際のところ、わたしもまだまだかなり甘くて、ついつい無理をしてしまったり、「まぁ、大丈夫」と高をくくって、気付けばグッタリ疲れてしまっていたり、そのたびに「こうなる前に対応すべきだった」と反省することばかりです。

妻に比べて自分の方が「山に慣れてる」とつい思ってしまいますが、こう考えると妻の方が安全な山歩きができるのではないか、とさえ思うほどです。

精進しなくちゃなァ。

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