【今年の目標】ヒグマを追って10日間式の狩猟
今年の目標があります。
『ヒグマを追って10日間式の狩猟』です。
一昔前の狩猟本を読むと、「山に籠もって、1週間も2週間も獲物を追う」という場面がよく出てきます。むしろ当たり前のように出てきます。今では決して当たり前ではありません。でも、私は狩猟を始めたときから、頭に思い描いていた「理想の狩猟の世界観」はそういうものだったんですよね。今思うと、具体的に何の影響なのか、と語るのも難しいのですが、昔のマタギについて学んだり、久保俊治さんの『熊撃ち』を読んだりしたのが影響として大きいように思います。
そういうことをやりたい、という願望だけはありました。しかし、なかなかどっぷりとやり込めていないのが実状でした。1〜2泊程度山に籠もってみたり、車中泊を挟みながら10日間くらいで遠征したことは過去にもありますが、どっぷり山に入って、そのまま山奥で過ごすというのは、経験がありません。
これまでの数年間、準備運動をしてきたようなもので、この冬こそ、実行しようと思い立ったわけです。
実を言うと私生活の変化も大きいです。仕事もようやく安定してきたし、スタッフも増えてきて、子どもも大きくなり、今までに比べれば手が離れてきました。そういうこともあり、家を離れることができる土台ができあがったとも言えます。
——とまぁ、だらだら書きましたが、私の頭の中は、この冬にやる「ヒグマを追って10日間式の狩猟」で一杯なのですよ。そこに向けて、少しずつ準備をしているので、そういう様子もブログで発信していこうと思い立ったわけでございます。
今日はその大枠部分の「思想と大まかな計画」という部分を書いてみようと思います。
思想……なくてもいいけど、あるとおもしろくなるスパイス的なヤツ
さて……山に籠もって獲物を追う。ということを考え始めたとき、まず最初に頭になだれ込んできたのは「サバイバル登山」というスタイルでした。わたしは服部文祥さんのファンで、ほぼ全著作を読んできました。サバイバル登山というスタイルに対する尊敬と憧憬の気持ちがあるもので、「やってみたいものだ」という気持ちはずっとありました。
今回「ヒグマを追って10日間式の狩猟」を実行するにあたり、サバイバル登山式でやってみようか、と自然と思い至っていました。つまり食料と燃料は現地調達で、電子機器は使わない、というスタイルです。
そのつもりで道具のリストを作ったり、米や調味料の食糧計画を作ってみたりもしました。
しかし、なぜかしっくりきません。憧れているはずのスタイルだし、おもしろさはある。まぁ、へんな話、シカを一頭獲れば、タンパク質は確保できるので、その点だけで言えば、実現可能性も高そうです。でも、なんかしっくりこない。
しっくりこないまま道具のリストなんかも作っていましたが、例外事項を作りたくなる……。たとえば——
- 家族に安否を伝えるために1日1回くらい衛星通信で「生きてるよ」のメッセージと位置情報を送りたい
- 夜は本を読みたいのでKindleでも持っていきたいな
- ラジオも聞きたい(娯楽のために)
いや〜、堕落していますね。サバイバル登山のサの字もない。我慢して持っていかないことはできるけど、なんで我慢するのか分からないところがあります。
服部文祥さんの著作をパラパラ読み直してみたりして、気が付きましたが、サバイバル登山って「登山」なんですよね。A地点からB地点まで歩ききることが目的であり、その歩く手段としてサバイバル登山の要素が入り込んできます。たとえば同じ登山の世界には「単独無酸素」というスタイルがあります。8000m峰を登るにあたり、1人で、酸素ボンベを使わない、というスタイルです。なるほど。では、わたしが「今回の狩猟は単独無酸素で行きます」と宣言したら……。ちょっと笑えますね。「そもそも酸素ボンベいらんだろ」と。行為が違うのに、スタイルだけ持ってきてもダメなんだ、というわけです。
「自分は何をしようとしているのか?」
という点から考え直さなくてはいけない、と思い至りました。
10日間、ひたすら移動するのか?
『ヒグマを追って10日間式の狩猟』と言ったとき、具体的にはどういう行動形態になるのでしょうか?
登山と違い、目的地はありません。だからグイグイ歩き続けることは意味がありません。ましてや、のちの獲物回収のことを考えると、ひたすらお口に入り込むのは得策ではありません(今回の行為の特性上、回収のために何往復かすることになるのは覚悟の上ではありますが、その労力は最小限にする工夫がいります)。
つまり、林道や作業道がない、そこそこの奥地に入って、拠点を作り、そこを基点に日々行動するのが自然です。10泊同じ所に泊まるわけではないでしょうけれど、同じ所に2〜4泊して、そこから周囲を探り、ダメなら次の拠点を探し、そこで2〜4泊し、という感じで行動するのが良さそうです。
そうすると、荷物が多少重くとも、ベースキャンプに置いていけば良いのです。
久保俊治さんの『熊撃ち』を読んでも、そういう形をとっていたように思います。であれば、ギリギリに荷物を減らす必要はないし、山を攻略するのが目的でもないため、「サバイバル登山」というスタイルを持ち込む意義もありません(別の理由で、スタイルの一部を取りこむことを考えていますが、それはまた別の記事にて)。
そもそも、ヒグマを獲りたいと思っているのに、エゾシカを獲って、解体して、保存できるように塩やらなんやらで処理して燻して、とやっていては時間の無駄な感じもします。
自分がやりたいことをやろう。人のスタイルに引きずられるのはやめようと思い至り、自分なりのルール・目安を作りました。
- 普段の生活から逸脱した生活をしない
- 荷物に日数をしばられないようにする
この2点です。ちょっと説明します。
<普段の生活から逸脱した生活をしない>
狩猟は生活の延長としてやりたい、という願望があります。何を持って “生活の延長” か? という話は置いておきますが、年に1度ディスニーランドに行くのは生活の中の遊びではないのに対して、家で好きな料理をするのは、生活の中での遊びです。狩猟はこの2つの間の灰色地帯に位置しているとは思いますが、できるだけ “生活寄り” にしたい、という願望です。
そのために、山に持って行く食べ物は、普段の生活でも食べるものを選んでいるつもりです。これは日帰り山行でもそうです。
米を炊く、おにぎりを持って行く、家の野菜や肉を持っていく、味噌を持って行く。
イメージとしては、家にある食材を持って行くというイメージです。今回の山行もそのイメージを大切にしようと思いました。わたしは備蓄としてのエゾシカ肉を持っていますので、それをジャーキーにしたり、野菜を乾燥させて持って行けば、栄養もそこそこ確保しつつ、軽量化もできそう。これでぎりぎり最低限の食糧計画を作るのが良さそうだ、と思い至ったわけです。
<荷物に日数をしばられないようにする>
こちらも重要です。
道具が行動を決めるのではなく、自分が行動を決めたいわけです。
たとえば10日間式、と行っていますが、もし9日目に良い足跡があれば、数日延長することは大いにありえることです。
そのときに「GPS端末のバッテリーが切れるから下山しよ」となるのは望みません。
だからバッテリーに依存したくありません。ラジオやKindleといった娯楽品はバッテリーが切れたら切れたで構いませんが、GPSなどに依存すると、荷物に行動が制限されることになります。そこで、そういったコアな用途の道具はアナログを最優先とする、という方針です。ヘッデンも、小型ランタンも携行します。しかし、あくまで消極的な使用にとどめ、基本は使わない。使うとしても最小限に。という考えです。
地図も紙をメインにし、スマホはザックの奥底で寝ていてもらいましょう。どうしても困ることがあれば、電源を入れれば位置情報は分かります。あくまで補助的な活用にとどめます。
ともかく、この2点を基本方針にしようかな、というのが今のところの考えです。
何処を歩くか
もう、基本的な山域は決めています。候補はいくつかありますが、まぁ、明かせないんですよね。残念ながら。
過去に入ったこともあり、ある程度の所までは土地勘があります。そして林道・作業道が入ってこないことをよく知っている場所でもあり、まともな人でそこを歩いている人は知りません。まともじゃない人で歩いた人は知っています(褒め言葉ですヨ)。
いや〜、楽しいですよね。こういう妄想。
最近は、こういう山に籠もって狩猟をしていた人たちの本を読んで、妄想/空想を広げています。
また、荷物について、食糧について、行動計画について、別記事を書いていきたいと思っています。
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