1/fゆらぎのために焚き火をやるわけではない、という話
わたしは山で焚き火をすることが多いです。
日帰りの山行でも、環境と状況が許せば昼食で焚き火をすることも少なくありません。
なぜか?
というお話です。

焚き火はロマン、ではなく
昔、20代でバイクツーリングをしていた頃、ロマンだと思って焚火をしていたように思います。
だれかが「焚き火はアウトドアのテレビだ」と言った人がいましたね。まさにそんな感じで、エンタメ的に焚火をしていました。
たしかに手遊びとしての焚き火はおもしろくはあります。夜の手慰みに薪をぽいッと投げ入れて、爆ぜる火の粉を見ていれば、夜更けの寂しさも和らぐのは、よくわかります。
でも焚き火のおもしろさって、そこじゃないかな、と今は思っています。

さて話は変わりますが、わたしは角幡唯介氏や服部文祥氏のスタイルや思想を尊敬しています。
サバイバル登山と言うと「自分の力で登る。自給自足!」みたいな面が強調されがちですが、わたしの解釈では「その山に合わせた登り方をする」ことこそが重要なのだろうと思うんです。
超極論ですが、すべての山にスタートから頂上まで階段をつけたとしましょう。コンクリートの安定した階段です。
そうなると登山という行為は「どの山でも同じ」となるわけです。せいぜい景色・傾斜・距離が変わるだけ。
同様に、調理という観点で見てみましょう。
ガスストーブとフリーズドライの食料があれば、登山において、(極端な悪天候などを除けば)ほぼいかなる状況でも食べることができます。
「いま食べよう」という本人の意思一つで食事を始めることができるわけです。山や自然環境に影響を受けません。とても高い山で食べようが、低山で食べようが、町の公園で食べようが同じことです。そこに山からの影響がありません。
一方「焚き火しかない」という状況を思い浮かべてみましょう。
焚き火は場所を選びます。それなりの薪が集まる場所でなければいけません。その薪は乾いていた方がいいですし、できれば火口になるものが近くにあれば望ましいです。水場が近いとなにかと便利だったりもします。そもそも安全に焚き火を熾し、鎮火させられる環境でなくては行けません。
今日、たまたま山を歩いていたときのことです。
「ああ腹減った」と昼メシのことを考え始めたとき、ちょうど尾根を登っていて、稜線に上がるところでした。このあたりの稜線は笹藪だらけで木があまりなく、焚き火なんてできません。そうなると、稜線に上がる前の樹林帯で早めの食事とするか、稜線を歩いた先で、遅めの食事をするか、という選択を迫られるわけです。
とても不便ですが、山の形、植生、特徴と向き合うことで出てくる悩みであり、わたしは楽しんでいます。
地形図を見ながら「稜線を歩いた先に針葉樹林があるから、そこがいいんじゃないかなー」なんて考えることが楽しいんです。で、いざ歩いてみると「ありゃ、ここじゃちょっと都合が悪いな〜。もう少しいいところまで歩くか〜」と、なかなか昼飯にありつけずイライラしたり、ふとしたところに良いスポットを発見して「ここだ!」と閃いてみたり、そういうおもしろさがあるものです。
また前日が雨だったりすると、難易度(というかめんどくささ)がグッと上がります。
あまり雨の当たっていない場所を選び、かつ地面から離れた薪を集めなくてはなりません。それもまた難しさであり、おもしろさに繋がります。
自分の思い通りにいかないからこそ、山はおもしろい。
そういうことです。
焚き火の作法
焚き火の話を書く上で、お約束として注意事項も書いておきます。
もちろん、法的に許されない場所ではダメだし、後始末が悪いのもダメ、ましてや山火事になるようなやり方もダメ。基礎です。

そういう意味で、焚き火台ってとてもちょうど良いんです。
- 焚き火の範囲を限定した上で、地面を燃やさない分、火災のリスクを軽減できる。
- 着火も早い
- 撤収も手早く燃やしきれる
- 少量の薪でことを済ませられる
ッてな感じでしょうか。
泊まりならばともかく、日帰りでの焚き火なら、絶対焚き火台を使います、わたしなら。
というわけで私は、積極的に焚き火を使います。それが叶わない環境もあるので、TPOに合わせてアルストも使います。
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