自分の狩猟をフィールドワークと捉える姿勢とフィールドノート
わたしはこれまで、狩猟などで山に入るときは手帳を持ってました。
いくつか試してきましたが、結局は測量野帳という定番のノートが最適という結論に至り、ここ数年はもっぱらこれを活用しています。
参考:山で使う手帳をアップデートすべく3つの測量野帳を比べてみる
せっかく持ち運ぶなら、積極的に使いやすいように、という意味で、細かいカスタムも施しており、自分なりに「使いこなしている感」も高まり、自分の手の延長として使えている満足感さえありました。
参考:狩猟メモに便利な測量野帳の紹介と、狩猟特化のプチカスタム
ところが、自分に1つまったくを持って足りていない視点というか、欠如した姿勢があったように思います。
それは振り返り整理する姿勢、あるいは研究する姿勢です。
用語の変化から始まる思考の変革

そもそもこれまで、わたしは測量野帳を “手帳” と呼んできました。
この語彙選択はたぶん、会社員・仕事人間的な発想なんだと思います。「仕事で使うビジネス用の手帳」というニュアンスです。昔から紙の手帳を積極的に使っていたので、手帳を肌身離さず持ち歩くことは習慣化しており、山でも手帳を持ち運ぼう、という姿勢は自然なものでした。
ところが、文化人類学的な本をいろいろと読んだりしていると、そういった手帳を “フィールドノート” と呼ぶことに気が付きました。その語を知らなかったというよりも、自分が持ち運ぶ手帳をフィールドノートと呼ぶ習慣がなかったという発見でした。
フィールドノートとはなにか? ちょっと調べてみます。
フィールドノートは、調査現場で得られた情報や体験を即時に書き留める大切な記録媒体です。文化人類学や自然科学の分野では、観察内容を時系列で整理して、研究の裏付け資料として活用します。
この際に、フィールドノートがあれば、現場での気づきや感情も含めて残せるため、考察に深みを加える手助けになります。(以下略)
フィールドノートの書き方とは?|書くときの注意点や効果的に書くためのポイントをご紹介!
その他、大学の研究者の話を見聞きしていくと、「フィールドノートは一次資料として使える(参考:フィールドノート古今東西)」など、なかなかおもしろい話もありました。自分が持ち運んできた “手帳” を1歩踏み込んで、しっかりとした一次資料として使える、フィールドノートとして活かしていきたい、と心に決めました。
ここでの気付きは “手帳をフィールドノートと呼ぶ” という用語の修正レベルの話ではなく、『自分のやっていることをフィールドワークである、と定義しよう』という積極的な発見でした。
もちろんわたしは研究者でもないですし、そういった経験もありません。だから、ごっこ遊びだと言われても仕方ないですが、今後長いこと取り組んでいく狩猟というものを少しは価値あるものにしていきたいという切実な思いからくる発見と、思考の積極的な変革なのです。
フィールドノートと整理ノート
というわけで、自分の使う手帳(つまりフィールドノート)に向き合う姿勢をアップデートしていきたいわけで、大きく2つのことを決意しました。
- フィールドノートをしっかり書こう
- フィールドノートをまとめる習慣をつけよう
これまで、フィールドノートはまったくの我流で付けてきました。いまでもそうですし、これからも、まァ、そうでしょう。それでもわずかでも、外部からの学びを織り込んでいきたくて、いろいろ読んでみたりもしました。
また、ちょうど私が知りたかったこと(フィールドノートを書く姿勢)を説明してくれている記事も発見し、自分なりに自信を持つこともできました。
フィールドノートの書き方
- その場ですぐに書く(記憶に頼らない)
- 抽象化せず具体的かつ描写的に書く
- 基本情報 (いつ、 どこで、 誰が、どのような振る舞いを、どのような状況で)
- 自分自身の状況(感情も含めて)を書く
- 後から引用できるようにノートをとる
これまでも、上記とさほど変わらない姿勢で書いていたつもりでしたが、「まぁ、これは書かなくていいか」と手を抜いてしまったり、それほど(その場では)おもしろいと思えなかった情報が欠落してしまったりします。
たとえば「ヒグマ糞あり」などと書いても、糞の内容物を書いていないこともありました。1日に3個も糞を見つけて、すべてがコクワを食べた糞だとして、1つ目こそ「ヒグマ糞(コクワ)」などと書くかもしれませんが、2つ目3つ目ともなると、「ヒグマ糞」としか書かなかったりします。いや、下手するとメモさえ取らないことだってあります。
まぁ、たしかにいくつも見つけていくと、そんな重要でもない気がしてきますが、これが長いスパンで見たときに重要性を持ったりするわけです。たとえばシーズンを通じて50個のヒグマの糞を見つけていたとして、その内容物ごとの比率を見てみたい、と思ったりするわけです。直近のものは覚えているかもしれませんが、去年のメモを読み返しても「ヒグマ糞」としかなければ、それ以上は分かりません。やっぱり「ヒグマ糞(コクワ)」くらいは書いておきたいところです。もっと書くなら「ヒグマ糞(コクワ)南向きの斜面、標高242m。付近の足跡は前足16cmなのでオスの成獣だと思われる」などと書いておけばさらに情報の質が高まります。
今までも、そういう書き方をすることもありましたし、サボってしまうこともありました。
もっとちゃんと書こう。
そう決意しました。
また、これまではフィールドノートを書いてそのままにしていました。
わたしは昔から日記の習慣があるので、日記としてその日の猟を振り返ることはよくやっていましたが、日記は書いたり書かなかったりするので、ちょっと弱いです。そこで下山後にフィールドノートを清書しつつ、情報を補強するという習慣を持つべきだと感じています。
その日の振り返りであれば、フィールドノートに書き記していない事実も覚えています。
メモし忘れた事象・発見があれば、そこで補足していけば良いわけです。コレまでは日記という形でフワッとやってきたので、それを「フィールドワークの整理」という位置づけで、下山直後に車で済ませるような習慣を付けていくべきだと思っています。
Hunting as Fieldwork
勝手に作った用語です。
狩猟という行為自体をある種のフィールドワークとして捉える、というイメージです。
フィールドワークとは、対象物を直接観察し、ときに現場に入り込み、一次情報を集めるという行為です。客観的な観察という意味では、狩猟とちょっと違うとは思います。わたしが理想とする狩猟とは、自然そのものに立ち、自然の中で活動することなので、1歩引いて観察するというのは、ちょっと物足りない印象があります。しかし、フィールドワーク関係のひとつの議論として、「対象物に入り込みすぎてはいけないが、どうしても不可逆なレベルで入り込んでしまうこともある」という話を見かけます。
もう、いっそ、自分のやっていることをそういう位置づけとして考えたらいいのでは、と思ったわけです。
自分自身が自然に入り込み、その上で自分を含めた自然というものを観察し、記録する。
常日頃、「獲物は獲れなくても良いんだ」と言っていますが、それを補強する思念として「その行為自体をしっかり記録さえしていけば、獲物は獲れなくても良いんだ」と言ってもいいのではないか、と。
という、なんだか妙に小難しいけど、グッとまとめると——
ちゃんと
- フィールドノートを記録しよう!
- ちゃんとフィールドノートを清書し、整理しよう
- 自分のやっていることをフィールドワークとしての狩猟と位置付けてみよう
ということです。
チャオ。
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