自分なりの選書術
ぼくの読書の歴史は小学生の頃に読んだ『ぼくらの7日間戦争』から始まった。
あれにハマりにハマり、次から次へと『ぼくらの~シリーズ』を読み続け、自室の本棚は黄色い文庫本で埋まっていった。家庭の教育方針として、本は欲しいだけ買ってくれたので、本屋に行くたびに『ぼくらの~シリーズ』を4~5冊手に取ったものだった。
その後、何年もして、ある程度の『ぼくらの~シリーズ』にややマンネリ化を感じた結果、横溝正史の金田一耕助シリーズへと興味が移行した。少しずついろんな本を手に取るようになり、ミステリを中心に、あれやこれやと乱読するようになった。
いま振り返ってみると、高校生までは小説しか読んでこなかった。それはそれでとても良い読書体験だったので、後悔こそないが、もう少し視野の広い読書をしても良かったような気もしている。
大学生になり、プログラミングに興味を持ち、技術系の本を山ほど呼んだ。図書館に入り浸り、技術系のコーナーの本を端から端まで順繰り読み漁ったのを覚えている。その後は、小説も読むし、ハウツー系の本も読むし、ビジネス系の本、経済の本……etcと、なんでも読む立派な乱読家になった。
とまぁ、とにかく読書し続ける人生だった。だからといって、物知り博士にも、インテリでウィットに富んだジョークを言えるようにもならなかった。ただ読書をするだけの人生だった。とはいえ、幸か不幸か、自信を持って言えるのは「読みたい本がない」という状況に陥ったこともないし、それなりに選書眼が磨かれたのか、本選びで大失敗することも減ったような気がする。
というわけで、イントロが長引いたが、自分なりの本を選ぶ方法を整理してみようと思う。

基本は「読みたい本」
小難しいことなんて考えず、読みたい本があれば、それを読む。誰かに勧められたり、たまたま見かけたり、そういう直感から読むのは、とても大事。読みたいという気持ちに勝る選書なんてない。
迷ったときは、広げるか、掘り下げるかを決める
パッと読みたい本が浮かばないとき、まず考えるのは「広げるか、掘り下げるか」という2択だ。
たとえば、登山が好きで、登山系の小説を何冊か読んでいたとする。そして、次に読む本を迷ってしまったときは、広げるか掘り下げるかを考えてみる。
<広げる>
広げるときの基本はカテゴリーを変えるか、視点を変えるか……となる。
- カテゴリーを変える: 小説ではなく、ノンフィクションやハウツーなどを読んでみる
- 視点を変える: 登山ではなく、釣りや狩猟といった、別ジャンルの小説を選んでみる
といったように、わざとちょいずらしで本を選ぶ。そうすると、元々の興味からも遠くないので、楽しく読めることが多いし、そこで得た知見を逆輸入的に生かしやすい。
この方法で広げていくと、どんどん興味が広がっていく。たとえば私の例で言えば
狩猟系の本 → 登山系の本 → 遭難関係の本 → 山岳気象の本 → 気象全般の本
といった具合に広がって、いつの間にか、天気のあれこれについて学んでいたりする。読書をしていなければ、一生興味を持たなかったかもしれない。
<掘り下げる>
広げるのではなく、同系統の本を掘り下げるのもいい。
まずは同ジャンル同カテゴリーで読み漁る。登山系の小説も山ほどあるので、その手の本を読む。ある程度読み尽くしたら、海外の登山小説だったり、国内でも絶版になったような古い登山小説に手を出してもいい。
同系統の本を読み下げることでしか得られない境地がある。なにかを知りたい時は、同系統の本を5冊読め、と言われるが、これは本当にそうだと思う。
この広げるか掘り下げるか、じつのところ選択ではなく、ループになっている。
まず掘り下げ、満足したら広げ、また掘り下げる……という繰り返しになる。
一般教養の本を読む
さて、登山系の本を読み続けていると、正直、くたびれてくることがある。
そうなったら、次に考えるのは「一般教養系」だ。
昔、なにかの本に書いてあったことで、いまだに心に残っていることがある(なのにどの本で読んだのかはすっかり忘れてしまった)。
毎年、国語/算数/理科/社会のそれぞれについて、数冊ずつは読んで、知識をアップデートしておけ
という話だった。細かいことは覚えていないが、骨子は概ねこんなもんだったはずだ。
なにも難しい学術書を読め、という話ではない。本屋さんで国語(現代文とか)のコーナーに行ってみて、自分が読めそうな1冊を探せばいい。大抵は、キャッチーでおもしろい本があるものだ。たとえば国語なら、『「国語」と出会いなおす』みたいな本だとか、『一度読んだら絶対に忘れない国語の教科書』なんてどうだろう。どちらも未読だが、興味があって、わたしの読みたい本リストに入っている。
ジャンルを飛び越えたテーマを持つ
さて、ここまでだけでも、普通は読みたい本に困ることはないと思う。
だけど、もう1つ読書がグッとおもしろくなる考え方がある。それはジャンルを飛び越えたテーマを持つということだ。
たとえば、狩猟に興味があるわたしは、その周辺にある登山や釣りの本などもたくさん読んだ。小説も、ノンフィクションも、ハウツーも読んだ。動物・自然の研究者の本も読んだ。
これはこれでおもしろいのだけど、もう少し普遍的なテーマを持つと、選書の可能性が無限に広がる。そしてこれを言いたくて、この記事を書いていると言っても過言ではない。
自身の活動や、読書から得た知見から、少し抽象的なテーマに出会うことがある。服部文祥氏の選書がまさにこの発想として好例なので引用する。
服部 なぜ自殺してはいけないのかも、よくよく考えるとわからないよね。そういうこともあって、「本の雑誌」の連載「サバイバルな書物」では、生命の秘密について探ろうとしているんです。
角幡 ああ、そうなんですか。
服部 そろそろラスボスに近づきつつあるよ。
角幡 誰ですか、ラスボスは。
服部 量子力学です。
角幡唯介さん「米の代わりに鹿ばっか食っていたんですけど、全然疲れないんですよ。中学生みたいでした」《服部文祥さん&角幡唯介さんスペシャル対談その4》
服部文祥氏は「生命の秘密」というテーマに出会った。そして、辿り着いたのが「料理力学」だった。という話だ。
服部文祥氏の興味の変遷を勝手に想像すると、最初は狩猟そのものだっただろうと思う。そこから生き物の生死に興味を持ち、おそらくは生死に関わるものをたくさん読んだはずだ。
たとえば哲学や宗教など、いかにも生命の秘密を題材とする分野がある。生死を彷徨った人のドキュメンタリーなどもいいだろう。勝手な想像だが、服部文祥氏は、そういった本も読んだだろうと思う。さらに言えば小説の多くは人の生き死にを題材にしている。あらゆる本が興味の範疇に入ってくる。
たとえば最近わたしが読んだ本で言えば『息吹(テッド・チャン)』の中にある『予期される未来』というSF短編がある。簡単に言えば、未来が完全に予期されていたら、自由意志などなかったら……すべては決定しているものだとしたら……人はどうやって生きていけばいいのか? という作品だ。
これを楽しいエンタメ小説として読むこともできるし、「人の生き死に」を掘り下げるつもりで読むこともできる。未来が決まっているとしても、人は生きていくことができるのか? そういうトピックとして読めば、これは哲学書にも、宗教書にも、学術書にもなる。
あらゆる本は、あらゆる読み方ができる。
腰をすえて、少し長い期間を掛けて取り組んでみたいと思えるテーマがあれば、読書は何倍もおもしろくなる。
むしろ、そうなってからが読書の醍醐味なのかもしれない。
もちろん「楽しいエンタメ」として読む本も山ほどあり、それを否定する気も、優劣をつけるきもない。どちらもいい、という話。
長くなったけど、自分なりの選書というものをざっくり整理してみたらこうなった、という記事でした。お付き合いいただきありがとうございました。
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