延々続く藪漕ぎと山メシ、そして食べる事の喜び
時間が空いたので(というか、空けたので)、3時間の山遊びタイムアタックです。
前から気になっていた沢があったので、沢でも眺めながら、谷を歩いて行くことにしました。
延々と続く藪
延々と胸から目線の高さの藪が続き、そこに潜るように歩きます。
いつか藪が開けることを信じて歩くこと1時間。とうとうほとんど藪が開けることはありませんでした。
そして藪と呼んでいる植物は、チシマザサと棘のあるイラクサと、名前の知らない雑草の3種類。それが交互に現れるだけで、地面も見えないからクマの足跡も探せないし、なんならクマが近くにいても分からないという状況。
実際,凄い近くにシカがいて、「もしクマならちょっと怖いな〜」とは思いましたね。
でも、昔に比べると過度なビビりはなく、こんな藪の中でもルンルンと歩ける程度の度胸はついてきたようです。
苦行のご褒美の山メシ
さて、1時間の苦行のような藪漕ぎをして「ああ、おれは何をやってるんだ」と思ったところで、沢から上がった開けた針葉樹林が目に入りました。
「もうメシにしよ。今日はゆっくりメシにする日にしよう」
さっきまでチクチクと刺さり、腕やら手やらを痛めつけてきたイラクサを、恨みを晴らすべく、お茶碗いっぱいに収穫します。
トゲトゲでイライラするイラクサも、たっぷりの油で炒めれば、めちゃくちゃうまいことは知っています。採り放題のおかずです。
まずは火を熾して、米を炊き、湯を沸かします。

飯が炊けたら、火の近くで蒸らしつつ、フライパンでイラクサを炒めます。
お茶碗一杯のイラクサも火を通せば、この通り、縮んで小さくなってしまいますね。もっともっと収穫せねば……。みそ汁はインスタントです。みそ玉を持ってくることもあります。
虫が多いので、焚き火の煙がありがたい。これがなければひどく虫がたかるので。
メスティンで米を炊いたら、そのままメスティンで食べても良いですが、先ほどの写真のように器に移すと食の満足度が高いです。そして、食べてるそばから、炊飯したメスティンに水を入れ沸かします。こうすれば内側の汚れ(炊飯したぬめりなど)を落とすことができます。もちろんその水も無駄にしたくないので、ティーバッグを入れて、そのまま飲んでしまいます。
こうすれば炊飯したクッカーも綺麗になるし、米も最後の1粒まで飲むことができます。
食べてる最中に湯沸かしもできるので、時間的な節約にもなるかな。
——というが、だいたい最近の山メシのルーティーンですね。ほとんど米とみそ汁って感じです。あとは山菜を採ってみたり、家にあるちょっとしたオカズを持ってきてみたり。
おまけのクマ足
メシの後はお茶を飲みながらKindleで読書。ちょっとした憩いの時間です。
しかしそろそろ帰らなくてはなりません。またあの1時間の藪漕ぎ……。気が滅入る。
帰路で古いクマの足跡を発見。藪漕ぎを避けるように、ちょっとだけ開けた場所を踏んでいました。きっとクマも辛かったんだ!

メシを楽しめば人生は楽しくなる
最近のわたしの持論なんですが、メシを楽しめば人生は楽しいと思っています。
高級なものを食べたり、名店に通うような楽しさでもいいのですが、もっと質素な楽しみ方もできるものです。
今回のように山の中で火を熾し、米を炊き、その辺で採った山菜を食う。それだけでも本当に幸せなものなんですよ。
学校を終えて帰ってきた娘と「今日は何を食べるか!?」と議論するのも恒例になっていて、食べる事をめんどくさい儀式にせず、楽しい遊びや喜びとして楽しんでほしいな、と思っていたりします。
そういう理由で、狩猟という行為は本当におもしろい。
自分で獲った肉を食う。
オスかメスか、若い個体か、老いた個体か,季節、場所などの違いを感じながら、素材を楽しみ、喜びに変えていく。
狩猟の喜びは食の喜びに直結すると思うんです。
そんなことを改めて思う今日この頃でした。
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