クマスプレーを忘れて思い出す山の本質

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最近はライフワークとして、仕事の隙間時間を見つけては山を歩き、ヒグマの痕跡を探して歩いています。

季節柄、鉄砲を持ち歩くことはできないので、自衛の道具はクマスプレーと剣ナタのみ……なんですが、この日はクマスプレーを忘れてしまい……。

ヒグマの痕跡探し

 

最近は本当に時間があれば、山に行っています。と言っても、毎回2〜3時間くらいの軽い山歩きという感じで、決して大袈裟な山歩きではないんですけどね。弾丸で、ガーッと行って、競歩のようにザクザク歩いて、帰宅して、シャワーを浴びて、仕事をする、というせわしい毎日を過ごしています。

さて、この日「いざ出発」と歩き始めて「クマスプレーがないぞ」と気が付きました。

 

「まあいいか」と歩き始めます。あまり褒められたものではないですが、かといって山行をやめたいわけでもない。ちょっと際どい場所は避けて、視界の開けた林道や、その周辺を歩くことにして、あとはいざとなったらナガサを使うしかない、と覚悟を決めました。

すると、自分でも驚くくらい、緊張感が高まるのが分かります。

クマスプレーというのは精神的安全性をかなり高めてくれていたようで、なくなってみると、まるで裸で町に放り出されたような頼りなさを感じるんです。かなり心を支えられていたようでした。

急に神経が張り詰めます。

わずかな音、ササの揺らぎ、小さな死角に敏感になります。

 

人は弱いから道具に頼ります。最近はいろんな便利な道具がたくさんあり、それに支えられています。

たとえばGPSもそう。GPSがあれば(機器の故障などを除けば)道迷いは起きません。GPS端末に地形図の機能もあるなら、もはや地図もいりません。GPS1つで現在地も分かり、次にやってくる地形も見えているわけです。

わたしもGPSを使うし、一般的には安全性の観点からGPSは使うべき道具として推奨されています。わたしも推奨します。

しかし、GPSを使うことで山の景色や地形、現在地というもの自体に無頓着になります。ほら、カーナビを使うと、いつまでも道を覚えないという現象がありますよね。あれと同じです。

火器なんかもそうですね。ガスやアルコールでいつでもお湯を沸かせるとなると、その場所ごとの特性に無頓着になります。常に焚き火しか選択肢にないなら、「着火に使えるガンピはないかな?」「薪になる材料が多い場所で休憩したいな」「近くに水があれば安心だし楽だな」と興味が湧くわけです。

こういう方向性で突き詰めていくと服部文祥さんのサバイバル登山であったり、角幡唯介さんの冒険の方向に近付いて行くわけです。

電子デバイスは使わない。自分で作れないものは使わない。そうすることで、より一層、裸で山と向き合える。とまぁ、そういう理屈です。

クマスプレーを忘れたとき、彼らが言わんとすることの一端を垣間見た気がしました。

そして思いました。

「山っておもしれー」って。

 

クマの足跡

 

なんてことを思索しながら歩いていると、わずかな違和感に気が付きました。上の写真です。クマの足跡にも見えます。

その前後を見ていると、ハッキリと足跡であるとわかる痕跡も発見。古いものですけどね。それでも痕跡は嬉しいです。

 

新しいわけでもないので、このまま足跡を追ってみると、さらに別の足跡も。こちらは別の個体です。これも古いですね〜。足跡が付いてから、乾いて固まった化石のような足跡です。

 

グルッと歩きたいところを歩ききって、最後にお茶タイム。このお茶タイムが好きで山を歩いているのでは? と思う今日この頃。

 

上の写真のクッカーはスノピの900mlだったかな。本当に嫌い!

わたしはフタが外にはみ出るタイプのクッカーが嫌いです。サイズ感は使いやすいんですけどね。なんだか買い替えるのも悔しいし、黙って使っていますが、隙あらば買い替えと思っています。たかがクッカーですけど、されどクッカーでね。うーん。

 

最近、ブログの更新が停滞気味なので、ゆるっとしたこういう記事を増やしたいと思う今日この頃。

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狩猟やってます。ひとりで歩き獲物を追う単独忍び猟が好き。2022年からはアイヌ犬のイチを連れて一銃一狗に挑戦します。狩猟系ブログ《山のクジラを獲りたくて》運営。狩猟系の本を集めるのが趣味。雑誌『狩猟生活』『ガンズ&シューティング』に寄稿し始めました。 ヤマノクジラショップ始めました:https://yamanokujira.theshop.jp

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