狩猟はスポーツか?
たまに「スポーツとして狩猟(殺生)だなんてとんでもない」みたいな言説に出会うことがあります。
あるいは「駆除以外の狩猟はスポーツでしょ?」という言い方も見かけます。
ぼくはずっとモヤモヤしてきました。「スポーツじゃないよ!」みたいに言い返したい気持ちもあれば、「でもまぁ、スポーツか」と思う気持ちもあって、なんとなく考えることを放棄してきたところがあります。
そこで今日は、1歩踏み込んでみようかな、なんて考えています。
その1つの切り口として、「狩猟」という言葉と、「スポーツ」という言葉を分解してみようという試みです。書きながら考えているので、結論はまだ見えていません。
狩猟とはなにか? なぜやるのか?
そもそも狩猟ってなんでしょうか? 簡単なようでいて、人によって言葉の幅が異なるものです。まずは辞書を見てみましょうか。
しゅ りょう 【狩猟】
猟の道具をもって,山野の鳥獣をとらえること。狩り。猟。
大辞林 iOS
まぁ、そうよね。シンプルです。狩猟=狩り。
ただ、ぼくとしてはちょっと不満です。なんでだろう。目的が書かれていないからかもしれません。
たとえばその辺の猫をなにかの道具で殺したとして、やっぱりそれを狩猟とは言いたくない(法律論はちょっと横に置いておくとしても、です)。
目的が違うと、行為の意味や名前が変わってくる、というのは珍しいことではありません。たとえば、遅刻しそうで駅まで猛ダッシュしている人を見てアスリートやジョギングとは言いません。でも、たとえ超ゆっくりでも、体力向上やタイムアップを目指して走っているなら、それはジョギングでしょう。
つい最近、出会った人が「自転車をやるんですよ」ということを仰いました。この言葉から「きっとロードバイクやMTBだろうな。ママチャリに乗るという意味ではないだろうな」とすぐに分かります。
ただ殺すことを狩猟と呼ぶのは、駅に向かって走っている人をランナーと呼んだり、ママチャリに乗る人を「自転車やる人」みたいに呼ぶのと同じ違和感があるわけです。
やっぱり目的があってこその狩猟なのかな、と思います。
そうなると、目的はざっくり2つに分類できそうです。
- 公共的な目的(つまり駆除のため)
- 個人的な目的(つまり楽しみのため)
法律論は本題ではないですが、その切り口からすれば 2 だけが狩猟であり、1 は有害鳥獣駆除となるわけですね。ここではひとまとめに狩猟としておきます。
スポーツとは何か?
いくつか見つけた定義をまず並べます。
「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟にいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛練の要素を含む身体運動の総称」
広辞苑第六版
余暇活動・競技・体力づくりとして行う身体運動。陸上競技・水泳・各種球技・スキー・スケート・登山などの総称
大辞林第三版
辞書はどうやら「身体的な運動の総称」としているようですね。広辞苑では狩猟が明示されていますし、大辞林も狩猟こそないものの、登山は含まれており、狩猟はスポーツである、と言っても辞書的には間違えていないでしょうね。
ただ身体的活動だけがスポーツかと言えば、そればかりが正解ではありません。中国新聞さんの記事を抜粋すると——
スポーツの語源を調べると、ラテン語で「運び去る」を意味する「デポルターレ」。そこから「気分を転じさせる」「気を晴らす」という意味に転じたという。実際、中世の欧米ではゲームやショー、見せ物もスポーツと定義されていたらしい。
つまりスポーツとは本来、身体行動を伴うものだけではなかったのである。しかし日本では「体育」と結びつき、体を動かすことだけと見られるようになったのだろう。
将棋はスポーツ?
というわけで、語源的解釈だと「スポーツとは気分転換に繋がるもの」というニュアンスになるのでしょうか。
最後に日本国のスポーツ基本法(2011年施行)の前文から抜粋すると——
スポーツは、世界共通の人類の文化である。
スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であ り、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の 下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画する ことのできる機会が確保されなければならない。
スポーツ基本法 前文
※太字はぼくによるもの
この前文はかなり納得感があります。辞書は肉体的な部分が強調されているのに対して、スポーツ基本法では “心身“ が対象であり、精神的な満足度も重視され、運動競技に限らず「身体活動」全般が対象となっています。
ぼくなりの今の結論
ここまでいろいろ見てきて何が言いたいかと言えば、スポーツという言葉にも、狩猟という言葉にも、いくつか側面や切り口があり、意地悪な切り口で切り取ることもできるし、好意的な文脈に直すこともできるということです。
狩猟とスポーツという言葉から導かれる意味やキーワードを羅列してみます。
狩猟——狩り・殺生・獲って食べる生活・山の植生や生態系の維持・獣害の軽減・関係者での交流・(猟友会などの)社会的立場・狩猟文化
スポーツ——肉体的鍛錬・精神的充足・文化的活動・健康・余暇/レジャー・気分転換
「狩猟はスポーツだ」という文章の “狩猟” と “スポーツ” という部分に、上記キーワードを入れていくと、いかようにも文脈をもてあそぶことができます。ゲームのように考えてみてください。
「○○は○○だ」
たとえば意地悪に言えば「殺生は気分転換だ」「殺生はレジャーだ」となります。この文脈で「狩猟はスポーツだ」と言われると「そんなんじゃないよ」と言い返したくなります。
一方で、同じように「獲って食べる生活は文化的活動だ」とか「獲って食べる生活は肉体的鍛錬だ」「獲って食べる生活は精神的充足だ」とすると、ニュアンスがだいぶ変わります。
こうやって見ていくと、狩猟は肉体的活動・身体的活動であり、精神的な充足にも繋がるわけです。たしかに狩猟はスポーツである、というのも間違えじゃなさそうな気がしてきました。
だからなんだ? と思いました?
ぼくも思いました。
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