書評『独りだけのウィルダーネス』ひとりの男の物語以上の物語
今日ご紹介するのはいわゆる狩猟本ではありません。ひとりの男が、アラスカの大地で、独りッきりで生きていく話です。
言ってみればそれだけの話なんです。淡々とした毎日を日記に書いたもの。でも、彼の自然に対するフェアな愛情に心打たれます。
そして、ただの日記なのに、最後のページでなぜか涙が出るほど感動しました。なんかすごいことが起こるんじゃないんです。静かな感動。著者の真面目さに心打たれます。
『独りだけのウィルダーネス』
厳しく美しい大自然の中、たった独りで人間は何ができるだろうか?その場所は、アラスカ山脈の中腹ツイン・レイクスの畔。時は、1968年5月下旬からの16ヶ月間。古ぼけた小さな小屋を振り出しに独りの男がハンドツールだけを頼りに完璧な生活を築き上げた。丸太小屋と野生動物とラスト・フロンティアの日誌。
“山の中で独りで暮らしていく” というと、人によってはサバイバル的な内容をイメージするかもしれません。
でもこの本の著者リチャードがやっていたことはそういうことではありません。彼がやったことは “誰もいない大自然の中で、生活を築く” ことでした。
知人の古い山小屋を借り、そこを拠点にして、自分の小屋を建てることから始まります。木を切り、皮を剥ぎ、乾燥させ、丸太小屋を作っていくわけです。冬になれば極寒の地。暖炉も入れ、煙突も作ります。
冬に備えて薪を集めたり、木の実を集めたり、家の近くを飛び回る鳥を観察したり、カリブーや熊を追いかけてみたり……。釣りもするし、少しだけ狩りもします。
繰り返すようですが、あくまで日記です。ドラマティックなことはそうそう起こりません。だけど、不思議と読ませる本なんですよ。
自然を愛でること
なにしろ大自然のなかでひとりっきりです。コミュニケーションをとる相手もいません。
だからだと思いますが、とにかく自然の動植物とコミュニケーションをとりたがります。
キャンプのこそ泥たちば早朝訪問。カリブーの細切れ肉を放ってやると、あてにしていたようにつつく。ここにおよんで気を許したのか、一羽などは馴れ馴れしく近寄ってきて、とうとう私の手から直接肉をついばんだものだ。
『独りだけのウィルダーネス』P.85
これなどは直接的なコミュニケーションですが、もっと内面的な「あいつはきっと○○をしているに違いない」「こいつはこう思ってるんだろうよ」という、ちょっと擬人化したような表現が散見されます。
わたしも狩猟や釣りで山に入ったとき、見かけた動物の思っていることを考えてみたり、名前をつけてみたりします。だからすごく気持ちが分かるんです。
わたしが好きでやっている遊びがあって、それは山の中で地名をつけること。
最近の猟でのマイブーム>勝手に地名を作ること。
最近命名した場所>胡座石、トイレ、葉絨毯、トトロの木、etc。
「今日は胡座石を抜けて、トイレ方向に向かうかー」みたいに心の中で言うだけ。
巻き狩りだと当たり前ですけど、単独だとやる人少ないかも?
— やまくじ (@yamakuji_jp) December 18, 2017
漠然と歩いている山の中に地名をつけていくと、愛着が湧くし、楽しくなるんですよ。もしわたしがリチャードのように文明から離れて暮らし始めたら、きっと徹底的に名前をつけながら生きていくんだろうな、と考えちゃいます。
こうやって「もし自分なら」と想像しながら楽しむのも、この本のおもしろさの1つです。
自分で生活を作り上げること
リチャードがやりたかったことはサバイバルごっこではありません。
大自然のなかで、自分の力でもって “生活を築きたかった” わけです。だから快適に過ごすための労力は惜しまないし、文明から何かを持ち込む必要があれば、仲間に頼んで運んでもらうことも多いです。
「自分にとって必要なもの」
がよく分かっている人なんだろうな。そんな印象を持ちました。
誰に見せるわけでもないのに、家の中のインテリアはこじゃれているし、キレイにしているんです。楽しい生活、快適な生活、遊び心のある生活があそこにはありました。決して苦しいサバイバル生活ではありません。
この点もすごく共感するんです。
最後のページ
最後の章は『小屋のテーブルに残されたリチャードのメッセージ』と題され、1ページしかありません。
ごらんのように、私の小屋のドアには錠が下ろされていない(下ろしておきたい気持ちは強かったのだが)。こういったウィルダーネスの中に建つ小屋は、それを避難の場として必要とするものがいつでも使えるようにオープンであるべきだというのが私の考えだからだ。
『独りだけのウィルダーネス』P.266
これは最終章の一部です。
彼は彼の小屋を愛していました。自分で作った家具のひとつひとつも愛していたし、それを作るために使った道具類も愛していました。
小屋の周りを飛ぶ鳥や動物も愛していたし、苦労して作った小屋の煙突も愛していました。
そうやって愛した自分の小屋を、錠を下ろすことなく、避難の場として提供することは、ケチくさい人ならきっとできなかったと思います。
道具類を使用する際には、私がそうしたように、大切に扱っていただきたいということ。ここを立ち去るときには、訪れたときと同じ状態にしていくこと。このふたつを守ってさえいただければ、あなたは使用料を全額支払ったことになる。
『独りだけのウィルダーネス』P.266
また、この1ページはちょうどループするように、リチャードの山小屋生活のスタート地点とちょうどつながります。
彼が最初に借りていた小屋も、他人が作った小屋です。人の小屋を借り、彼は自分の小屋を作りました。そして借りた小屋はキレイにして、明け渡します。
きっといつか誰かがこの小屋を使うことでしょう。そしてその人なりのドラマを繰り広げるでしょう。そんなことを考えると、ひとりの男の物語以上の雄大な時間を感じさせられる1冊です。
大満足の本でした。
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